「――っ!」
綾は反射的に両手で身体を隠しながら振り返った。
「あ、あなたは……!?」
そこにいたのは綾と同じく生まれたままの姿の女性であった。
端正な顔立ちとモデルのように美しいプロポーション。だが、その目には、綾でもはっきり分かる邪悪な光が宿っていた。
「あたしは轟地将の乗り手よ。ふふ、昔は"影渡り"と呼ばれていたわね」
「じゃ、じゃあ……あなたも"異形"なんですか……?」
「その"異形"っていう表現、やめてほしいわね。もうあなた達と同じ人間でもあるんだから」
「それは……どういう……」
「さあ? どういう意味かしらね」
意味ありげな"影渡り"の薄笑みに、綾の唇が震える。
綾にとって、敵が人間の形を取っているというのは、悪夢のような事実であった。漠然とした『怪物』のイメージが、一気にリアリティと形を持って自分の前に立ちはだかった、そんな感じだ。
それでも綾は、身体から手を離して硬く握り、相手をにらみ返した。
「……どうして広哉様を狙うんですか!?」
「秘密よ」
"影渡り"は口の端を上げたまま、綾を眺める。
「……っ?」ぶしつけな視線に、綾は不吉なものを感じた。
「あなた、本当に可愛いわ」
「え?」
「"予備"にしようかしら」
その奇妙な言葉と同時に、"影渡り"の足元から闇が膨れ上がった。
まるで生きているように、闇は何本もの筋となって綾へと迫る。
「いやっ! 来ないでください!」
綾は後ずさろうとした。しかし闇はそれよりも早く、黒い触手を纏わりつかせるようにして、彼女を捕らえる。
「やっ……」綾は払いのけたが、闇はその手にも絡み、腕を伝った。
闇には間違いなく質感があった。それが肩から、脚から、若々しい肌の上を舐めるように這い回る。
蛇にでもねぶられているかのような、おぞましい触感であった。
「んく……っ?
んっ……離して……ください……っ……あっ!」
眉根を寄せ、綾は唇を噛み締めた。形のよい顎がクンッと上を向く。
「あらあら、そんな顔をしちゃって。そんなにあたしが怖いのかしら。それとも恥ずかしい別の理由?」
「……やめて……くださいっ……」
か細い声で綾は訴えた。しかし、相手はますます楽しそうに闇を蠢かせる。
「はうっ……んぅっ……」
「この姿、せっかくだからあの男の子にも見せてあげたいわね」
「そんなっ……広哉様には……。あぁ……絶対……いやぁ……っ」
闇からは独特の力が注がれてくる。睡魔に似た物が心を蝕み、意識をどんどん遠のかせていく……。
(私……消えちゃう……)
いよいよ気を失いそうになったその時、綾を引き戻す声があった。
――綾、妾の声を聞け! しっかり自分を保つのだ!――
烈風神の声が綾を我に返らせた。
「烈風……烈風神さん!」
その頼もしい名を呼んだ瞬間、綾は自由を取り戻した。同時に、いたはずの"影渡り"は跡形もなく消えうせる。
思わず周囲を見回そうとする綾を、烈風神が叱咤した。
――前を見ろ!――
光の矢が目の前に迫っていた。