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桜の木の下で……(後) 脚本 毬谷敦子
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5.微古生物学 その日の夜。聖鈴学園から明かりという明かりが消えたのを確認した後に、麗奈は沙希や恵梨とともにロープが張られたままの図書館前に来ていた。 「うーん、正直言うとちょっと抵抗あるんだよね……」 恵梨の持ち味である思い切りの良さを鈍らせているのは、夜の学校に来て立ち入り禁止区域に足を踏み入れようとしているからではない。 麗奈から事情を聞いた彼女が即座に「愛する麗奈ちゃんのお兄さんのためなら、喜んで力を貸そうじゃないの」と言ったのは断るまでもないの。 だが、いざ夜の図書館前に着てみると、ひどく涼しげな風やそれに吹かれてさわさわと音を立てる木々の揺らめきがそこはかとなく不気味に思え、どうも調子が出ないのだ。 「もし、妖魔の仕業じゃなくて『単に』成仏できない霊が彷徨っているならどうしよう?」 「大丈夫。そういう時は、あたしが絶対恵梨さんを守りますから」 「沙希もついてるですー。いざとなったらフラッシュを焚いて逃げれば大丈夫ですよ」 麗奈が手にした護符を、そして沙希が撮影用のデジタルカメラを見せながら、恵梨を安心させるような口調で言い切った。 「……そ、そう? じゃあ、鬼が出るか蛇が出るか分からないけど、学校で噂の妖魔の謎を暴きに行こうか?」 こほん、と咳払いをしてから胸を張った恵梨が号令をかける。 もっとも、実際に先頭を歩く事になったのは麗奈で、恵梨はそんな彼女の側にピッタリくっつくようにして移動していた。殿を務めるのはカメラを構えてそんな二人の様子をつぶさに撮影している沙希だ。 麗奈が手にしている懐中電灯の光が、古ぼけた柱や壁を照らす。 少し埃っぽいよどんだ空気と、歩くたびにギシギシとたわんで今にも朽ち割れそうな床の感触は昼間に訪れた時とはまるで異なっており、周囲の暗闇も手伝って過剰なまでの不安を呼び起こさせてしまう。 そんな彼女たちの耳に、自分たちの足音とは違った音が聞こえてきた。 「……な、なに? 何の音よ一体?」 恵梨がかすかに震えながら麗奈の腕にしっかりとしがみ付き、その耳元で怯えたような小声を上げる。 カチン、カチンという固いもので別の固いものを打ちつけているかのような乾いた音が、左手にある部屋の方から響いてくるのだ。 「も、もしかして『呪いの人形』だったりとかしない?」 「とにかく行ってみましょう」 あまりにも不吉な想像を口にする恵梨の手をぎゅっと握り締めながら、麗奈は毅然とした表情を見せて音が漏れ出てくる部屋の方へと足を向ける。 問題の部屋は、聖鈴学園の所有する貴重な書物を自由に閲覧できる展示室だった。 懐中電灯を消し、麗奈と恵梨が壁に身を寄り添わせてそっと中の様子を覗き込む。 「……ちょっとちょっと、あれってどう見ても普通の人間じゃないの?」 「そうみたいですね…………」 低く小さな声で囁きあう恵梨と麗奈の声には、困惑の色がありありと浮かんでいる。 彼女たちの眼に映ったのは、がっしりとした体格の男性二人が部屋の壁に向かって一心不乱に鶴嘴を振るっている光景だった。 「拍子抜けしちゃいましたね……でも、一体何してるんでしょうか?」 「……そんなに知りたいかね?」 二人より少し後にいた沙希がやはり小声でそう口にした時、部屋の様子など全く憚る事のない普通の音量の声が響いたかと思うと、彼女の手元からデジタルカメラが叩き落されたの引き続き、強い力でその小柄な身体が宙に持ち上げられる。 「沙希ちゃん!?」 カメラが床を転がる鈍い音、そして沙希の悲鳴を受けて麗奈と恵梨が振り向くと、部屋の中にいる二人と同様に大柄な男性が彼女を羽交い絞めにしていた。 「教頭先生…………」 意外な人物がそこにいる事に、唖然とする麗奈と恵梨。 沙希に襲い掛かったのは、この学校の教頭・松居だったのだ。 「あれほど昼間、ここには近づくなと言っておいたというのに……」 苦々しい顔で麗奈の方を睨む松居教頭。 彼の腕の中では何とか逃れようと沙希がもがいているが、彼女の力では文字通り無駄なあがきという感じだ。 そんな戦巫女の苦境を憂いて、沙希の両耳を飾るイヤリングが何かを訴えるように一瞬キラリと光ったが、麗奈は小さく首を横に振って彼らに自重するように促した。 沙希が松居教頭の手の中にある以上、迂闊な行動は取れない。 しかも、騒ぎを察した中の二人が部屋の中から姿を見せたため、麗奈たちは丁度挟み打ちにされるような格好になっていた。 「どうなってんだ、松居! お前、誰も近寄れねぇ事にしたんじゃねぇのか!?」 「俺に聞くな! ガキどもが夜にうろちょろするなんて計算外なんだよ!!」 部屋の中にいた二人はどうも柄が悪そうな顔をしていたが、言葉遣いも相当なものだ。 しかし、松居教頭もまた教職にあるとは思えぬ乱暴な口調だ。 「ごちゃごちゃ言ってないで、とにかく沙希ちゃんを離しなさいよ、教頭!」 「そうよ! それに、これは一体どういう事なのか説明して下さい!!」 麗奈と恵梨は口々に松居に強い口調で迫るが、相手は昼間のように鼻で笑って取り合わず、沙希を解放する素振りすら見せない。 それどころか、松居教頭が沙希を楯に使っているのを良い事に、部屋から出てきた二人の男が仲間と同じように麗奈と恵梨を取り押さえようとじりじりと迫ってくる。 冷たい汗をうっすらと額に浮かべた二人が、小さく頷き合って最後の手段である各々の装甲神を呼び出してイチかバチかの賭けにでようとしたその時……。 「説明なら、僕が代わりにしようじゃないか!」 というバリトン域の声が松居教頭の背中から響いてきたかと思うと、彼が振り向いた次の瞬間にはその顔が強く握り締められた拳の直撃を受けていた。 予期せぬ一撃に腕の力ががくんと弱まり、沙希の身体が松居の元から解放される。 「……チャンス!!」 まるで示し合わせたかのように、麗奈がそのまま沙希の身柄を確保して松居にストレートパンチを浴びせた男性の元へ滑り込むかのように駈け寄る一方で、恵梨は今にも自分に飛びかかろうとしていた男性二人に強烈なハイキックを浴びせて床にノックアウトさせた。 |
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「家に帰ったら、母さんがまだお前が戻っていないって言うから、まさかと思ったが……」 顔をしかめて左手を何度か振っている教授は、半ば呆れているような感じだ。 とはいうものの、彼は妹とその友達をしっかり背中でかばっていたのだが。 「五年前のとある祝日、この学園の近くで現金輸送車襲撃事件が起こった。だが犯人の手がかりは愚か、奪われた現金が使われた形跡も一切なく、事件は結局迷宮入りとなった」 近くに寄って来た恵梨の姿を視線の端で捉えつつ、教授は眼鏡の奥から鋭い視線でよろよろと起き上がろうとしている男性三人を睨む。 「まさか、その時の現金がこの図書館にあるっていうんじゃ?」 「そのまさかだよ」 妹の言葉に教授が三人組を見据えたまま大きく頷くと、右頬を腫らした松居教頭の顔が一瞬ビクッとした表情になる。 「犯人が逃走したと思われる経路上にはこの学園がある。どういう繋がりかは知らないが、松居教頭が計画を立て、後の二人が実行犯といった所なんだろうな。逃走に車を使ったふりをして教頭の手引きでこの図書館に逃げ込み、強奪した現金を一度隠す。 ほとぼりが冷めた頃に回収しようとしたのだろうが、二つの計算違いが生じた」 教授はここで少し間を置いた。緊迫した空気が流れ、彼の後にいる妹たちはゴクリと唾を飲み込み、松居教頭たちは恐ろしい顔付きで長身の青年を睨んで、続きの言葉が紡がれるのを待った。 「一つは事件の直後、思いがけず図書館の補修工事があって展示室に隠しておいた現金を容易に取り出す事ができなくなってしまった事。 手を拱いている間に五年の月日が流れ、この図書館自体を取り壊す話が持ち上がった。 教頭たちはこれをチャンスと思い、学園にデマの妖魔騒動を流して誰も図書館に近づけさせず、その間に現金を回収しようと考えた。 書籍類を全部運び出し、取り壊すのを待つだけの状態ならば内部をどんなに荒らしても証拠が残らないからね」 「じゃあ、西村先生が見た三体の妖魔っていうのは教頭先生たちの事だったの!?」 「体格的にもピッタリだろう?」 教授はちょっと皮肉な口調で麗奈の疑問に肯定の意を示す。 「人が妖魔の噂を利用するなんて……!」 「こんな話、今まで聞いた事ないよ!!」 沙希と恵梨が一斉に非難の声を上げると、松居たちは苦虫を噛み潰したような顔になる。 「……さて、最大の問題はもう一つの計算違いだ」 教授は改まった口調で、厳かに再び口を開く。まるで、自分の中にある激しい感情を無理矢理抑えこんでいるかのように。 「祝日で誰もいないと思い込んでいた学校に、偶然調べものがあって図書舘を訪れた人がいた。それが大槻先生だ。事実、先生は御家族の方にそう告げて家を出ていたからね。 恐らく、大槻先生は現金を隠す作業を見てしまったんだろう。 慌てた教頭たちは、先生と自分達以外には誰もいない事を良い事に、先生を自殺に見せかけて殺した…………違いますか、教頭先生?」 「ふん……何を証拠にそんなデタラメを!? 今まで君が喋った事は皆推論にすぎないじゃないか!?」 自分を厳しい眼で見据える視線の前に、松居は開き直ったのか無理に笑みを浮かべ、教授を恫喝するような大声を上げる。 だが、彼は「そう来ると思っていた」と涼しい顔でニヤッと笑った。 「残念ながら証拠は既に警察に提出済みなんですよ。教頭、自分の手を見て御覧なさい」 「手だと……んっ! 何だこの傷は?」 松居は右手人差し指とその爪の隙間に薄っすらと血のようなもので滲んでいるのに気がついて、驚いたように眼を剥いた。 「多分、西村先生が今朝ハンドバックを投げつけた時に出来た傷なんでしょう。 あなたはその指の傷に気付かぬまま麗奈の肩を何度か叩き、妹のブレザーに小さな染みを作ってしまった。そこで僕はハッと思い出したのですよ。 あなたが五年前、大槻先生が亡くなった際にも同じ部分を怪我していた事をね」 「あの写真に付いていた血痕は、教頭先生のものだと思ったのね?」 「紙で手を切っていても、案外気が付かない事が多いからね。それと同じ事がもみ合ってでもいる時にあの写真で起きたんだろう」 「バカバカしい。それだけの事で俺が大槻先生を殺した証拠になると思っているのか! 第一、 そんな五年も前に付いた血痕など何の意味にも……」 松居は引き攣った笑いを見せたまま兄妹の追求を一蹴しようとしたが、教授の「なりますよ」という余裕の一言によって、ますます顔を強ばらせる羽目になった。 「保存状態がよければ、白血球に含まれているDNAの大部分はその構造を保っている。 そのDNAを抽出した後、増幅にかけてやれば、比較的容易に個人の遺伝情報を調べる事が出来るんです。微古生物学の常套手段ですよ。 今回、問題の写真はロケットの中にありベストとは言えないまでも外に放置しておくよりはずっと良い状態でしたから、麗奈のブレザーについた血痕と比較するのは普段の研究よりはずっと簡単な作業でしたよ。 その結果、妹のブレザーに付着していた血液と、五年前に大槻先生が持っていた写真の血液とが同一人物のものである事が判明したのは言うまでもないでしょうね」 そこで突然、教授の口調がガラリと変わった。 「……お前たちのやった事は全てお見通しだ! 警察がもうすぐ礼状を持ってここにやって来る! 観念するんだな!!」 張り詰めた空気を粉々にしてしまうかのような教授の怒声は、松居たちばかりか教授の直ぐ側にいた恵梨や沙希まで思わずビクッとして身を竦めてしまうほどだった。 「そ、そんなバカな…………五年前の血痕が証拠になるなんて……」 警察がやって来ると知ってもはや打つ手なしと思ったのか、松居教頭を含む三人の男たちはガックリと項垂れてその場にへなへなと座り込んだ。 「すっごーい! 麗奈さんのお兄さんってまるでシャーロック・ホームズみたいですぅ!」 「ホントホント! 詳しい事はよく分からないけど、まさに科学の勝利ってヤツだね!!」 相手が完全に意気消沈したのを見た沙希と恵梨が手放しに教授を褒め称えると、教授は二人の方を向いて「どうも」というように軽く頭を下げる。 「いや、こう見えても大学ではミステリー研究会に所属していてね」 「そうそう。加えて何か事件があるとすぐ首を突っ込みたがるものから、京都府警のブラックリストにしっかりチェックされているのよね」 「おいおい、それはあんまり人前で言わないでくれよ」 自分をたしなめるような妹の言葉に、軽い苦笑を口元に浮かべて「参ったな」という表情を麗奈に向ける教授。 そんな兄の少し困ったような様子に、麗奈はちょっと悪戯っぽい微笑を見せると同時にふふふ、と声に出して笑った。 彼女もまた、兄の『健闘』を称えているかのように。 だがそんな麗奈の笑みが、彼女が何気なく窓の外に眼を向けた際、不意に消える。 「…………見て!」 麗奈の声に呼応するかのように夜の闇を切り裂いて幾筋もの青白い稲光が校庭に轟いたかと思うと、轟音と共に鬼女の面を被った巨大妖魔が姿を見せたのだ。 その『表情』は昨晩よりずっと敵意に満ちており、座り込んだまま茫然と自分の方を見上げている松居たち三人の姿を確認すると、おぞましくも悲しい鳴き声を上げた。 妖魔の咆哮が松居教頭たちを震え上がらせ、彼等は体格に似合わず今にも失神しそうな雰囲気だ。 「教頭たち三人が一度に揃うのを待っていたんだ、きっと!」 恵梨の言葉を裏付けるかのように、鬼の面の口がぐわっと開き、そこから血のように赤い破壊光弾が放たれようとしている。 「…………伏せろ!」 それを見た教授が麗奈たち三人に覆い被さるようにして、身を低くする。 不気味な音ともに繰り出された破壊光弾が獰猛な猟犬のようなスピードで真っ直ぐ突き進んで来るのに対抗するかのように、麗奈の手から金の腕輪が赤い光となって解き放たれ、それは光を纏ったまま巨大な像となって図書室の前に立ち塞がる。 赤と赤との激突は、激しい閃光となって麗奈たちに襲い掛かり、それを目の当たりした松居たち三人にはとうとう口から泡を吹いて気を失ってしまった。 「…………あれは、一体!?」 妹の手から放たれた赤い光から生まれし巨大なロボットの姿にさしもの教授も唖然として少しの間言葉を失っていたが、ロボットの相手が誰なのか察し弾かれたように外へ飛び出していった。 一方、図書室の前で仁王立ちとなっていた赤き装甲神・カイザーに向かって、鬼女妖魔は「邪魔をするな!」とでも言いたげな鳴き声と共に、破壊光弾を立て続けに発射する。 だが、カイザーはその攻撃を避けようとはせず、甘んじてその身に受け止め続けた。 幾つもの小爆発が彼の身体で煌き、最後の一撃を喰らったのと同時に立膝を突いたカイザーだったが決して反撃の様子は見せず、そればかりか相手を制するかのように右の掌を掲げると、ゆっくりとした口調で妖魔に語りかけた。 「……やめるんだ。これは人によって裁かれなければならない問題だ。 例え君を殺めた人間たちをその手で葬り去っても、起きてしまった事は何も変わらない。 罪を犯した人間に罰を加える事ができるのは、人間だけなんだ」 「……………………」 「『彼』の言う通りです」 妖魔は破壊光弾を吐き出していた口を閉じると、まっすぐに赤き装甲神の方を見つめ、それからカイザーの近くに姿を見せた教授の方に視線を向ける。 「後の事は任せて、どうか安らかに眠って下さい。 この桜の木と一緒に…………」 彼が立っている場所は、丁度桜の木の下だった。 しばしの間、静寂が生まれた。 妖魔もカイザーも教授も、そして彼の元にそっと近付いて来た麗奈たちも、誰も何も口を開こうとはしなかった。 やがて、何かが音を立てて砕け散る音がしたかと思うと、巨大妖魔の鬼の面が割れ、その姿はそのまま蜃気楼のように掻き消えていく。 その代わりに、麗奈たちの頭上に咲く桜の花弁が闇夜に舞い散った。 今夜の穏やかな風では考えられぬ程に激しく、そしてまた鮮やかに……。 |
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