<同日午後3時17分 京都市北区今宮神社近く十文字屋和助>
 昼食後、麗奈たちは明護院那魅の案内のもとで、京の街を北に向かって進むようにして建仁寺、清水寺、八坂神社、二条城といった有名な寺院・旧跡を見学していった。


 涼子の希望で『学問の神様』こと菅原道真が奉られている北野天満宮を参拝した後、「もう少し北の方に足を伸ばしてみないか? よい茶屋があるのでそこで一服しよう」という案内人の提案を二つ返事受け入れて、彼女たちが訪れたのが今宮神社の参道沿いにあるこの茶店だった。
 創業がなんと長保二年(西暦1000年)だという、そのまま時代劇に使えそうな風情のある店の近くに来るだけで、名物『阿ぶり餅』の香ばしい香りが立ち込めている。小さく一口サイズにちぎった餅を竹串にさしてきな粉をまぶし、店先の炭火で丹念にあぶった焼きたてのものに白味噌と砂糖・黒砂糖をあわせたタレをたっぷりと絡ませた素朴な風味が絶品なのだ。
また、疫病鎮めの社として知られている今宮神社を参詣してから、この阿ぶり餅を食べると疫病から逃れられるという言い伝えが残っている。
「今度京都に来る機会があったら是非春にくるといい。桜がとても綺麗だぞ。
特に平野神社の夜桜は絶景だからな。あれは見なきゃ損だ」
那魅はそう言って目を細めると、阿ぶり餅についてくるお茶を一口飲んだ。
生粋の京都人、しかも老舗旅館の娘ということもあってか案内された各々の場所での彼女の解説は下手なガイドブックよりもずっと詳しく、麗奈たちは感心しきりだった。
どうやら那魅は苦手とする来客を教授に押し付けてしまったようで、その代わりに麗奈たちの世話を『かって出た』のだという。ちなみに、京都滞在中はガイドとして観光案内してくれるばかりでなく昼食なども奢ってもらえるらしい。
「明日は何処に行きたい?」
「やっぱり、太秦の映画村に行ってみたいでーす!」
 沙希が目を輝かせながら真っ先に手を上げる。
実はこれ、彼女だけの希望ではなく、彼女の装甲神であるグランタイガーの希望でもある。彼曰く「本物のチャンバラを一度は見ておかないとな」との事。
「確か、この時期なら『御存知! 八百八町犯科帖』の撮影をやってる頃だな。上手くすると撮影現場を見学できるかもしれないぞ」
 那魅の言葉に「やったー!」と片手を上げてガッツポーズのような格好を見せる沙希。
 沙希のイヤリングに姿を変えているグランタイガーも己の戦巫女と同じように、極々『小さな』動作で「してやったり」という心情をあらわにする。
 その仕草に麗奈もつられて笑おうとしたが、自分の左腕に『いる』装甲神がほんの一瞬、これまで感じたことのない程の険しい感情の波−それはほとんど「動揺している」といってもいい程のものだった−を発した事に、思わず表情を硬くしてしまった。
(何か問題でも、カイザー?)
(いや、何でもない。気にしないでくれ、麗奈) 麗奈の腕を飾る金のブレスレットになっているカイザーはいつもの精悍な口調で即座に否定したものの、どこか取り繕ったような感が否めず、彼女はカイザーが『凝視』していたと思われる方向に眼をやってみた。
 麗奈たちが座っている茶屋の奥からは閑静な面持ちのする庭が望めるのだが、カイザーはどうやらその庭の方が気になっていたようだ。 しかし、麗奈が今見渡した限りでは「ゆったりと、いい雰囲気」といった風景に関すること以外に特に注意を引くようなものはないように思えた。
「……どうかしたの、麗奈ちゃん?」
「え……いえ、綺麗な庭だな、と思って…………」
 自分でも気が付かない内に庭の方を真剣に眺めすぎていたのだろう。阿ぶり餅を頬張りながら怪訝そうな顔で恵梨が尋ねてくるのを、麗奈は自分のパートナーと同じように少し不自然な笑みを浮べて「何でもないです」という表情を繕い、何気ない素振りのように空を少し見上げた。
 うっすらと陰りを見せている、古都の空を。

 

 

<同日午後6時52分 京都市上京区京楠大学人文学部微古生物学研究室>
「なっはっはっ! だから言ったじゃろう? ワシは大天才じゃからの!!」
 岸源五郎博士は護符で編まれた布を前にして、快活な笑い声を上げていた。
 神楽刑事の『一言』によって目覚めたこの老博士は、最初の頃こそ「年寄りを一体何だと思っとるんじゃ」などとぶつぶつ愚痴をこぼしていたが、護符の解析を始めた途端、それまでのすっ呆けた様子がまるで嘘のようにおよそ五時間ぶっ通しで黙々と作業に取り組んだのである。 その結果、とりあえず次のような事が解明された。
まず、布を構成する一枚一枚の護符は全て同じ物であり、護符に書かれた文句は『魔除け』の意味を持っているのではないか、という事。
護符の文字は全く未知のものであったが、そこは博士が長年の経験に基づく『踊る人形』的推論法で解読した所、「誤りし道を進みし者、安らかに眠れ」という意味の言葉が刻まれていたためである。
この事実を踏まえた上で、問題の布は人の遺骸、それも何か忌むべき理由を背負った人物を包んだものではないかと岸博士は推論している。
護符の文言に加えて、布のサイズ、変色と紛らわしいが血痕のような染みが見られる他、護符と同じ種類の文字ではあるものの、この布に包まれて埋葬されたと考えられる人物によるものではないかと考えられる断末魔の『血文字』が観察されたのだ。
その文句とは「我に続く者に災いを」−詩織や神楽には布のどこにその文字があるのか、デジタルカメラで撮影した資料用のパソコン画像上で示されてもさっぱり分からなかったが、『その筋』の専門家の卵である教授は「まさに恨みの念で書かれたって感じですね」と心なしか顔が青ざめているように見えた。
「私どもの感心は一緒に埋められていた妖魔、いや怪物の遺骸との関連性なのですが、それについて岸博士はどうお考えですか?」
 神代詩織は老博士の「見かけによらぬ」鮮やかな手腕に感心しながらも、自分と神楽が京都にまでやって来た最大の目的についてズバリ尋ねた。
 詩織たち妖魔対策班としては、未だ謎の多い存在である妖魔に関する情報はどんな些細なものでも欲しかった。カイザーたち装甲神の持つ知識も断片的なもので、妖魔対策に決定的と言えるまでのものではない。
 装甲神が選んだ戦巫女という運命的な立場にあるとはいえ、麗奈たちのような少女が戦いの場に出向く事を詩織はある意味もどかしく思っていた。
彼女たちの負担を少しでも軽くしてやる事はできないものだろうか……妖魔犯罪の現場で麗奈たちの力を借りる度に、そんな思いが必ず彼女の頭の中をよぎっていたのである。
「それはまだ分からん」
 博士はやれやれという感じで大きく伸びをしながら椅子に腰を下ろすと、あっけらかんとした調子で言った。
「布と遺骸の年代を測定してみなければ、同じ時期のものかどうかすら分からんからの。
 ただ、それはどちらかというとワシではなく教授君の専門じゃな」「今、放射性炭素分析法で年代測定にかけています。多分、明日の朝頃には結果がでるんじゃないかと」
 博士の「ギロリ」という擬音が良く当てはまる、独特の視線を受けた教授が付け加えた。
「人形の方はどうです?」
「素材の分析は教授君に任せて、ワシはもっぱら形態学的なアプローチをしておったのじゃが、これも恐らく魔除けの一種じゃろうな。
 日本的にいえば神社の狛犬みたいなもんじゃな。これを見てみればわかる」
 岸博士は慣れた手付きでパソコンを操作し、布と同じくデジタルデータとして取り込んだ二体の人形の姿を画面上に並べて表示した。
「口と思われる部分を注目してみると、向かって左の人形に比べて右の方が閉じているように見えるじゃろう? いわゆる『阿吽』という奴じゃ」
なるほどな、と博士の解説に耳を傾けながら、一同は画面に並ぶ人形の違いを観察した。
「……それにしても腹が減ったのぉ〜。今何時じゃ?」
「もうすぐ七時ですね。どうりでお腹もすくわけだ」
 皆が真剣な様子の時に水を差しては……とさすがにこの老博士も気を使ったのか、控えめな調子で切り出したのに、ちらっと時計を見て答える神楽。
(考えてみれば、昼は駅のにしんそばだったからな……)などという考えがちらりと浮かび、詩織の空腹中枢も連鎖反応的にすっかり刺激されてしまった。
「まだもう少し作業がかかると思って、麗奈たちが泊まっている先輩の旅館から、仕出し弁当を頼んでおきました。七時頃には届くと思いますよ」
「そいつは助かった。しかし、知らないうちに外が真っ暗ですね」
 教授の言葉に嬉しそうに返事をした神楽は研究室の端にある窓ガラスの方に近寄り、外の様子をちらりと垣間見た。
 京都の夜空には寒々とした雰囲気が漂っており、窓の外から眺めるだけでも外の冷え切った温度が身体にしんしんと伝わってきそうだった。
 おまけに暗いのは外ばかりでなく、冬休みに入っているこのキャンパス内も神楽たちのいる研究室以外には明かりが灯っておらず、不気味なまでに静まり返っている。
「仕事が終わったら、おでんでもつついて熱燗でくーっ! と行きたいねぇ、どうだ神楽?」
「先輩……僕、ほとんど飲めないんですけど」
 傍に近寄ってきた詩織のお銚子を傾ける仕草に、慌てて両手を振りながら「遠慮します」とやんわり断る神楽。
 ほとんど下戸と言ってもいい神楽が、警視庁新春飲み比べ大会で優勝した詩織の相手などできるわけがない。彼女のペースにまともに付き合えるのは会計課の日傘次長だけ、というのが庁内のもっぱらの評判である。
「まったく、付き合いの悪い奴だな……それだから何時までたっても飲めんのだぞ」
「いえ、お付き合いはしますが、はっきり言って先輩のペースについていくためには殉職覚悟でなければとても合わせられません」
 顔を見合わせて漫才のような掛け合いをやった直後……二人は偶然視界の端に入った窓の外を眺めるとさっと表情を変えて、ほとんど同時に「伏せろ!」と大声を上げて、教授と老博士めがけて飛び掛っていた。
 一体何が起ころうとしているのか全く理解できず、呆然とした表情を浮べる間もなく教授は詩織に、岸博士は神楽によって半ば強引に床に押さえつけられる格好になる。
 刹那、つい先程まで詩織と神楽が身を寄せていた窓ガラスがけたたましい音をたてて粉々に砕け散るのと共に、一体の異形の者が飛び込んでくる。
「神楽っ!」「分かってます!!」
 上司の指示に答える神楽の言葉は、耳を切り裂くような激しい銃声の群れにほとんどかき消されて聞こえない。
 詩織が叫ぶより早く、神楽は内ポケットのホルスターから妖魔対策班特別支給のベレッタM92Fを引き抜き立て続けに引き金を引いたのだ。 幾筋もの硝煙と異様なまでに甲高い断末魔の叫びを纏いながら、異形の姿をした標的はものの見事に床の上にもんどりうって倒れこんだ。
「……ナイスショット」「御指導の賜物ですよ」
 ピクピクと小さく痙攣していたものの、間もなく身動き一つせず倒れ伏した異形のものに油断無く銃口を向けながらも、先輩刑事の賛辞に左眼を軽く瞑って答える神楽。
「それにしてもこの妖魔……出土された遺骸と似ていないか?」
 弾丸が直撃したところから緑色の液体をだらだらと滴らせている怪物を凝視しながら、詩織が呟く。
 彼女の言う通り、羽根こそないものの細長い手足にくちばしと言った明らかに鳥類系の特徴を備えたこの妖魔から肉という肉を全て殺ぎ落とすと、今宮神社から発掘された怪物の遺骸と骨格が良く似ているように見える。
「この出土品と関係があるのでしょうかね?」
「どう関係があるのかは知らんが、奴らのお目当てがこいつである事は間違いなさそうだ」
 机の上に並んでいる、その問題の『資料』の数々を乱暴な手付きで元のアタッシュケースに押し込みながら、詩織は窓の外の方を顎でしゃくった。
 他の人間がわざわざ覗き込む間もなく鳥の鳴き声に似た奇声が多数、空いている窓から段々と近づいてくるのは誰の耳にも明らかだ。
「あたしがこの『荷物』と一緒に囮になって、ここで時間を稼ぐ。
その間に神楽は教授君と岸博士を安全な所まで避難させてくれ
頃合を見計らって、あたしも後を追うから」
「先輩、しかしそれでは……」
「あたしの酌を断るのは大目にみといてやるが、二階級も上の人間の命令に真っ向からたてつくと後で泣きを見るぞ」
 ベレッタの装弾数を確認し終えた詩織が、冗談めかした口調で部下の心配を受け流す。
「……くれぐれも無茶はしないで下さいよ。これ、一応お守りです」
 そう言いながら、神楽は背広の内ポケットから小さな銀の十字架のついたペンダントを詩織に投げてよこした。
「効き目があるかどうかは保障しませんけどね」
「吸血鬼を相手にするんじゃないんだぞ、全く……」
 やれやれというように肩をすくめながらも、受け取ったペンダントを首にかける詩織。
 いかにも好青年という顔立ちによく似合う、と悪戯っぽい笑みをふっと浮べて彼女の動作を見守った神楽は、「行きましょう」と残る二人を促した。

「……いやにあっさりしてるな」
 はあはあ、と肩で息をしながらも詩織は鳥型妖魔の群れが自分を想像していたほど執拗には自分を追いかけてこない事に拍子抜けしていた。
 もっとも既にマガジン四本分の弾を消費しているので、相手の数そのものが減っている可能性もあったが、詩織はいちいち確認していなかった。
「あきらめたのか……いや、それとも…………」
 薄明かりに照らされた二階と三階を繋ぐ階段の壁を背に、愛用のベレッタを利き腕だけで油断なく構えながら下へ下へと降りていく彼女の頭を嫌な予感がかすめる。
(こいつが狙いって訳じゃなかったのか……!?)
 だとすれば、二手になど分かれない方が良かったのではなかったか……と心の中で後悔し始めた時の事だ。
「……力が欲しいんでしょ?」
 唐突に響く、清らかではあるもののどことなく挑発的な少女の声に詩織が驚いて辺りを見回すと、自分の真後ろにややウェーブがかった栗色の綺麗な髪を背中まで伸ばしネグリジェのような薄手の服を纏っている、ちょうど麗奈たちぐらいの年齢と思われる女の子が立っていた。
「何者だっ!?」
 左手にアタッシュケースを抱えたままベレッタを少女に向ける詩織だが、その動作が完了する前に銃口によって捉えている筈の相手の姿が見当たらない。「戦巫女や装甲神の力を借りないで済むような力が」
続けざまに聞こえてきた声にさすがにビクッとしながらも、彼女はもう一度声のする方に向き直ると同時に、右腕を伸ばしてベレッタを相手に突きつけた。
今度は相手も姿を消したりしなかった。
そればかりか、自分の整った鼻先に突きつけられた銃など全く意に介さないとでも言うように、人形のように洗練された相貌で真っ直ぐ詩織の目を見ていた。
彼女の心の奥底を見透かすかのように、じっと。「貴女の願いを叶えてあげる。この戦いを終わらせばいいのよ」
「……お前は一体っ…………!?」
 そう大声を張り上げながらも、額からしっとり冷たい汗が流れだし、無意識の内に銃を握る右手に余分な力を込めてしまっている事を、詩織は十分自覚していた。
 だが、それに抗う事はできない。
 衣服のせいもあってか、全体としてはあたかも目の前に存在していないかのように希薄な印象を与えるが、少女の冷たいまでに済んだ紺碧の瞳は詩織を捉えて離さず、その視線の前に彼女の身体はまるで金縛りにでもかけられたかのように硬直してしまっているのだ。
「簡単な事だわ。人間を滅ぼせば、この戦いは終わるもの」 少女ははじめて薄紫の唇に微笑を作り、「ふふふ」と声に出して笑った。
 それを合図にしたかのように、何か異を唱えようと青ざめた顔で口を動かした詩織の左手からアタッシュケースが離れて階段を転がっていく。
 だが、アタッシュケース自体は二階まで乾いた音を立てながら落ちていったものの、途中でロックが外れたその中身たちは同じ運命を辿る事なく、詩織の背後で静かに、大部分が闇に支配されたかすかな光の中で宙に浮かび上がっていた。

「何とか逃げ切った……」「わけでもなさそうじゃな」
空になったマガジンを無造作に投げ捨てながら、最後の一本を取り出した神楽刑事の言葉を、岸博士は涼しい顔であっさりと否定した。
神楽が銃で妖魔を牽制する一方、足のリーチにあまりの差がある博士は教授によって背中に担がれていたため、当然ながら若い二人ほどは疲れていなかったのだ。
「どうやら、待ち伏せされていたみたいですね」
 西エントランスから外に出ようとした瞬間、教授たちの視界に入ったのは雨後の筍のようにたむろしている鳥型妖魔の群れ。その数はおそらく何十という単位であろう。
 弾数が残りわずかな神楽のベレッタだけでは撃退する事は愚か、たとえ神楽と教授が肉弾戦で神がかり的な力を発揮したとしても強行突破することも難しい数だ。
「ここは、引き返した方が…………って、もう遅いのか!」
 神楽は教授の腕を引っ張ってもと来た道を引き返そうしたものの、その行動は背にしていた非常用出口の窓が激しい音と共に粉々に砕け散った事に阻まれる。
「……万事休す、じゃの」
 そう達観したように呟く博士を丁度支点にするような格好で、神楽と教授は背中合わせになってじりじりと近寄ってくる妖魔の集団を威嚇するかのように睨む。
 だが、二人とも温和な顔立ちであるためかどうかは分からないが、妖魔たちは不気味な低い唸り声を上げながら確実に距離を狭めてきている。
「何か策はありませんか?」
 焦りの色を滲ませながらも、いつもの穏やかな調子で神楽に尋ねる教授。
「空腹じゃなかったら、思いつくかもしれません」
 対するこの若い刑事は教授と同じく冷や汗をうっすら顔に浮べてはいたものの、状況に不釣合いなほど軽妙な口調で答える。
 両側から迫り来つつある妖魔との距離は、もう5mと離れていないだろう。
「では、注文の『夕顔』特製弁当を目にすれば、どうだ?」
 神楽が自分の言葉を紡ぎ終えた直後の事だ。
アルト域の凛とした女性の声が妖魔の群れを威嚇するかのように響き渡ったかと思うと、エントランス側に巣食っていた妖魔の一角が突然、紅蓮の炎に包まれる。
 その炎によって断末魔の叫びを上げつつ消え去っていく妖魔たち。

「邪魔よ、邪魔邪魔っ!!」
 そして、炎による奇襲に乗じるかのように隙間が出来た部分を狙って、ボーイッシュな髪型をした少女が威勢のいい掛け声と共に、何と素手で妖魔を殴り倒しながら教授たちの方に通ずる『路』を作ってと一直線に突き進んできたのだ。
「お久しぶり『家具屋』さん、元気? えーっと、こちらのハンサムさんが麗奈ちゃんのお兄さんかな? はじめまして、あたし……」
 少女はそこで少し口を噤むと、背後に迫ってきた妖魔の一体に向かって強烈な回し蹴りを食らわせ、バレー選手さながら一回転して元の位置に戻る。
「綾瀬恵梨です。よろしく!」
「……い、いや、こちらこそ。妹がいつもお世話になっています」
 あまりにも鮮やかな綾瀬恵梨の一撃に呆気に取られる教授。そして、彼の背中に背負われたままの岸博士は彼女の『脚線美』に思わず鼻を押さえる羽目になってしまった。一方、その傍で神楽は「恵梨ちゃん、僕は『家具屋』じゃないんだってば……」と、トホホという『いつもの』表情を浮べている。
「兄さん、神楽さん、大丈夫?」
 恵梨が強引に作ったルートを通って、麗奈たちも駆けつけてきた。
 彼女の右手には何枚かの護符が握り締められている。恐らく、先程の炎は彼女の手によるものなのだろう。
 麗奈は立て続けに退魔の炎を放ち、窓の方から教授たちに迫ろうとしていた妖魔たちを瞬く間に一掃する。
「なかなかやるね、お前の妹さん。いつも噂していただけの事はある」
 紫色の風呂敷に包んだ、お花見用ほどの大きさがあるお重を手にしている御月那魅がニコニコしながら教授の前に姿を表わした。
「私も久々に腕が鳴り出した……すまないが、これを持っていてくれるか?」
「え……はい、分かりましたわ」
 傍らの涼子に風呂敷を預けると、那魅は腰帯に差していた扇子を手に取り、低い声で呪文のようなものを唱え始める。
 すると右手にある扇子の先から眩いばかりの光の刃が生みだされ、扇子はあっという間に細身に日本刀のような形状へと早変わりする。
「私の目の前で堂々と姿を表わす魑魅魍魎がまだこの京にいたとは驚きだ……」
 そう言いながら、那魅は沙希に飛びかかろうとした妖魔に向かって手にした光の剣を水平に薙ぎ払い、異形の者の身体を易々と切り裂いた。
 もちろん、今の沙希がちゃっかりビデオカメラを手にしている事は言うまでもない。
「葛葉流心眼流し・降魔の一刃を恐れぬならば、かかってくるが良い!!」
 美しい顔立ちに凛とした表情を見せた那魅が、両手で剣を正眼に構えて妖魔の群れの前に仁王立ちになった。
「兄さん、あの御月さんってもしかすると……」「御家人退屈男さん?」
 妖魔を二体まとめて得意の高速回転蹴りで倒した恵梨の一言に、別の妖魔の群れと戦っていた麗奈は思わず膝を割りそうになった。
教授に尋ねた恵梨の顔はいつもながら大真面目そのものである。
「ああ。麗奈の『元同業者』で、京都のその筋で『夕顔の若女将』の名を知らないものはいなかったらしい……ちなみに先輩はかなりの時代劇フリークなんだ」
 華麗とも言える剣さばきで妖魔を切り倒していく様を見ながら答えた教授の言葉の中には、ちゃんと恵梨の質問に対するものも入っている辺りが彼らしい。
(そうか…………退魔師だったんだ、この人も)
 麗奈がそんな事を考えながら、年上の女性の姿を視界の端でちらりと盗み見るように捉えた時、別の思考が彼女の頭の中に不意に流れ込んできた。
(ロムレス……やはりか…………)という、己の装甲神のひどく動揺した一言が。

「いや、全然手ごたえなかったねぇ」
「……妖魔さんにしてみれば相手が悪すぎたのですわね、きっと」
 涼子のぼそりと呟いた一言などまるで気にせず、恵梨はパンパンッ! と上機嫌で両手を払い、勝ち誇ったようなポーズを取った。
 鳥型妖魔の群れは麗奈たちが姿を見せてからものの十分と経たぬ内に元の世界へと強制送還されてしまっていた。
「助かったよ。まさか麗奈たちも先輩と一緒に来るとは思わなかった」
「教授兄さんの大学を一度見てみたかったからっていうのもあるけど、正直言えば妖魔の気配を感じたからなの。でも、御月さんがいるなら別に大丈夫だったかしらね?」
 麗奈は少しばかりの皮肉を交えて言ったが、当の教授は「僕も先輩の能力(ちから)を見るのは初めてだったけど、なかなか凄いね」と妹の意図に全く気が付いていない様子だ。
(まあ、こんな感じだから少なくとも兄さんの方にそういう感情はなし、かな?)
 なにやらホッとしたような、ちょっとがっかりしたような複雑な気分だ。
「ところで、教授さんの背中で鼻から血を流して気を失っている人、誰なんです?」
「ああ、この人はね……」「気にするな。大方、よからぬ事でも考えていたのであろう」
 触らぬ神にたたりなし、とでもいうように沙希の質問に真面目に答えようとしていた教授の口を扇子で塞ぐような仕草をする那魅。
 教授は困ったように笑いながら、教授からすればまるでマスコットのような体格の老博士をゆっくりと下におろした。
「しかし驚いたな、詩織さんや家具屋さんが京都にいるって那魅さんから聞かされた時は。
 ……って、あれ? 詩織さんはどうしたんだろ?」
 そう言ってキョロキョロと周囲を見回す恵梨の仕草を確認する事もなく、「だから神楽だってば!」というお馴染みの言葉を飲み込んだ神楽は、その代わりにすっかり青ざめた顔を教授の方に向けた。

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