<同日午後10時33分 京都市下京区旅館『夕顔』浴室>
「詩織さん、一体どうされたのしょうか?」
「あの人の事だから、そう簡単に妖魔にやられちゃうって事はないでしょうけど……」
 柚子の香りで満ちた湯船につかっている涼子が心配そうな声で切り出すのを、傍らにいる沙希が務めて明るい調子で否定した。
 だが、それが精一杯の虚勢である事は隠せない。『夕顔』に戻ってきてから、誰もが気に病んでいることだからだ。
 妖魔を撃退した後、神楽が携帯で連絡をとっても、また大学構内を手分けして隈なく探しても、詩織の足取りをつかむ事が出来なかった。
 何よりも、妖魔たちを引き付けるために彼女が持って出たという謎めいた出土品の数々もまた消えてしまっているという事が、何よりも不気味だった。
 空になったアタッシュケースが二階の階段付近に転がっているのを除いて。
 神楽刑事は当事者の一人である教授や京都府警の協力を得て付近一帯の捜索に取りかかっているが、別れた時の表情は固く、焦燥感を通り越して悲壮な雰囲気を漂わせていた。
 もちろん麗奈たちも神楽への協力を申し出て、妖魔に絡んでいるのであればと神経を研ぎ澄ませ、物の怪たちの気配を感じようと努めたものの、やはり何の手がかりも得られず残ったのは強い疲労感だけだった。
「何か分かったら、必ず連絡するから」という教授と神楽の言葉、そして那魅が「旅の疲れもあるだろうから、休んでおいた方が良い」と勧めたこともあって、彼女とともに『夕顔』に戻ってきたのは一時間ほど前の事だ。
 今日が冬至であるため、用意されていた夕食は南瓜を主体にした見た目にも美しい繊細な京料理であったが麗奈たちの箸はあまり進まず、その事がかえって那魅を含めた宿の人たちを恐縮させてしまった。
「そういえばさ、あの鳥型妖魔を見た時、ファリアスが妙な事を呟いたんだよね」
 麗奈の背中を流している恵梨が思い出したように口を開く。
 こんな雰囲気でなければ、「うーん、麗奈ちゃんの肌ってもっちもちだね。食べちゃいたいくらいだよ♪」などといってイタズラの一つや二つ仕掛けてきそうなものだが、さすがの彼女もそんな余裕はないらしい。
「ロミュラン、いやラプラスだったかな……」「ロムレス、ですか?」
 麗奈の言葉に、ポンと膝を打つ恵梨。
「そう、ロムレス! あいつらの事を指してロムレスっていっていたんだよね。
 って事は麗奈ちゃんのカイザーも同じ事を?」
「はい。カイザー、なんだかひどく動揺していて……」
「実は、タイガーとバイソンもそうなんです。あの妖魔のこと、知っているみたい」
「知っている……ねぇ」
 沙希の言葉を繰り返しながら、恵梨は麗奈と顔を見合わせた。
 彼女たちと行動を共にしている全ての装甲神があの妖魔の事を知っているのだとすれば、その妖魔と彼らとの間に何らかの秘密があるのだろうか。
「カイザーたちに聞いてみた方が……」
 良いかもしれませんね、と涼子は続けようとして急に口を噤んだ。
 失礼するよ、という声と共に那魅が湯殿に姿を見せたのだ。
「お客と一緒に入るっていうのは礼儀に反するが、ちょっと時間が遅いので許してくれ」「いえ、御一緒できて嬉しいです」
 麗奈は皆を代表して口元に微笑を浮べて答えたあと、その笑みをすぐに引っ込め、真顔に戻って彼女に尋ねた。
「兄さんたちから何か連絡は?」
 いや、といようにわざと無表情のまま首を横にふりながら、那魅は麗奈たちと同じように何も身に付けていない身体にお湯をかけた。
 自然のままにしていれば背中までかかる長い髪を頭の上で束ねているため、彼女の背中は露になっていた。
 抜けるような白い肌で覆われた背中にくっきりと残る、爪で引っかかれたような大きな傷痕とともに。


「やっぱり、麗奈の嬢ちゃんには言っておいた方がよくはないか、カイザーの旦那?」
「だがロムレスが現われたというだけで、マリアと関係あるとは限らないだろう?
 ただの、偶然かもしれん」
「もしバイソンの言うようにただの偶然なら、麗奈に余計な心配をかけない方がいい、と僕は思うけどな」
 仲間たちの言葉に、カイザーは熟慮するかのように押し黙った。
 主である戦巫女からカイザーたち装甲神が離れるのは一日のうちで一度か二度、入浴の時だけである。
 主から離れた今この時、彼等はカイザーがブレスレット、グランバイソンとグランタイガーがイヤリング、そしてファリアスがネックレスという装飾品の姿のまま、麗奈たちの衣服の上で密かに額を寄せあっていた。
「……では、ただの偶然ではなかったとしたら?
 もし私がこの地でマリアの気配を感じたといったら、どうする?」
 今度は仲間たちが沈黙する番だった。
「私は麗奈に全て話そうと思っている。『最優先の指示』(プライマリー・ディレクション)を発動させる言葉と一緒に。
 だが、その前に君たちには伝えておいた方が良いだろうと判断した。
もしもの事があった場合、あとの事を君たちに頼んでおかなければならないからな」
「『最優先の指示』だとぉ? ふざけるな!! どうなるかわかってんのか、旦那?」
「悪いが、今回はタイガーと同じ意見だ。自殺に等しい行為だぞ、カイザー」
「マリアが姿を現しても、僕たちが何とかしてみせる。
 僕たちの事を信じられないわけじゃないだろう、カイザー?」
 ファリアスの言葉にバイソンとタイガーも「そうだ」と力強く頷いたが、カイザーはゆっくりと首を振った。
「……永遠の眠りが互いを分かつまで、わたしは呪う。あなたが『彼女』を眠らせるまで」
 詩を朗読するような調子でカイザーが呟いた言葉に、ファリアスたちの表情が強ばる。
「マリアが最後に言った言葉だ。私は麗奈を眠りにつかせるわけには、いかないんだ」

 

 

<同日午後11時47分 京都市下京区旅館『夕顔』客間廊下>
「……その話、本当なの?」
 清楚な造りの中庭に面した窓越しに映る自分の表情が、知らず知らずのうちに険しいものになっている事に麗奈は気が付いていた。
 そして、まるで彼女の心に呼応するかのように、昼間彼女達が観光を楽しんでいた時と違って空はどんよりとした雲にすっかり覆われていた。
「残念だが、嘘は言っていない」
 ちょっと二人だけで話がある、と己の装甲神に誘われた麗奈は皆がいる部屋から少し離れて少し肌寒い空気で満たされた窓の近くに寄っていた。
 赤き装甲神・カイザーが自分に話した内容は、すぐには信じられない、いや正確に言えば信じたくない内容であり、彼女は自分の頭が混乱している事を自覚していた。
「でも……でも、だからって、それはあなたのせいってわけじゃないんでしょ?
それに、わたしの…………」
わたしの気持ちも考えてよ! と続けて右手の中にいるパートナーを強く握り締めようとした時、彼女は自分の頭の中で稲妻が駆け巡ったような感覚に襲われ、ハッとした表情を浮べた。
何度も経験している、『あの感覚』だ。
「どうやら、議論している暇はないみたいだな」
 何処か自嘲気味にカイザーが呟いたのと同時に、自分たちの部屋の中から表情を固くした恵梨たちが飛び出してきた。

 

 

<同日同時刻 京都府警本部・臨時妖魔対策室>
「できる限りの人員を集めて、大至急住民の避難にあたって下さい。
 私もすぐ現場に向かいます」
 了解しました、と敬礼して緊張した面持ちで部屋から出て行く府警スタッフへの挨拶もそこそこに、神楽悠馬は夕刻消費した分のマガジンを補給しながらコートを手にした。
 上司である神代詩織警部補がいない今、現場で直接妖魔対策の指揮を取る事のできる人間は当然ながら彼しかいない。
何しろ京都府警にいる『専門スタッフ』の中で実際に妖魔と遭遇した事のある人間は、皆無に近い状態なのだ。
「よりによって、こんな時に巨大妖魔が出現するなんて……」
「……こんな状態だからこそ、かもしれませんよ」
 自分の隣で既に身支度を整え終えている御国守教授が手元の端末ディスプレイで現場から送られてきたライブ映像を目にし、バリトン域の穏やかな声のまま唸った。
「そんなバカな! 魔除けの品じゃなかったんですか!?」
 コートに袖を通しながら、神楽は思わず大声を上げた。
 彼が被り付いていた画面の中では、二体の黒い巨人が平安神宮と思しき赤い鳥居の付近で暴れまわっている様子が中継されていた。
 その巨人の顔と思しき部分はそれぞれ、夕刻京楠大学で見たのと同じような『阿吽』の表情に象られている。
「魔除けは魔除けでも、別の意味の魔除けだったのかもしれません。
 我々を、この人形達が守っていた何かかから遠ざけるという逆の形のね」
「まさか……とにかく、現場に急ぎましょう」
 硬い表情のまま、神楽はそう言ってホルスターにベレッタを仕舞い込んだ。

<同日午後11時57分 京都市中京区平安神宮付近>
「カイザーブーメラン!」「シューティング・レイ!」
 グランタイガーとグランバイソンが地上で相手の注意を引いている隙を狙い、カイザーとファリアスが空中から飛び道具で攻撃をしかける。
 赤き鋭い刃と九本の蒼き光の矢が狙い違わず地上で蠢く二体の巨人の身体に命中するが、二体は涼しい顔でかわす素振りすら見せずにカイザーたちの攻撃を受け流し、逆に二体同時に地上にいる猛者二人に対して拳の一撃を放った。
「ちっ! 何て固い装甲してやがる!」「ああ、スピードもなかなかだ!」
 寸でのところで攻撃をかわしたグランタイガーが悪態をつく一方、同じように大地で体勢を立て直したグランバイソンは何処か感心したような声を上げた。
「みんな、こうなったら合体ですぅ!!」
 戦いの状況を見定めた沙希が、右手の拳を思いっきり振り上げて気勢を上げた。
「よーし、派手にやってやろうじゃないの! 行くよ、麗奈ちゃん!!」
「……分かってます! カイザー、ドラグカイザーに合体よ!」
 空王ターナを呼び出す体勢に入った恵梨の言葉に、毅然とした声で返事をする麗奈。
彼女は先程カイザーと交わしていた会話の事を心の隅に追いやろうと、ただ無心になっ
て目の前の敵を倒す事だけに集中しようと努めていた。
召還!という一言とともに異空間よりもたらされた龍の意匠が施されし赤き杖を麗奈が右手で握り締めると共に、灰色の雲で覆われた夜空に誇り高き龍王が住む異空間と繋がるフィールドが形成され始める。
その事を身の周りに纏った空気で確認しつつ、気力を集中させるべく一度目を軽く閉じた麗奈は意を決したように目を見開き、腕を天高く掲げて龍王ナーガの名を高らかに詠唱しようとした。
一方、赤き装甲神は宙に舞うタイミングを見計らっていたが、ハッとしたような表情を見せて突然大声で叫んだ。
「麗奈、避けろ!!」「出でよ! 龍王……きゃあっ!」
 しかしカイザーが叫ぶより早く、夜空を食い破るようにして姿を見せた淡い緑色の光弾によって龍王ナーガの召還は妨げられてしまった。
彼女の華奢な身体が、その悪意ある光の弾の直撃を受けて後方へと叩き伏せられたのだ。
「……ふーん、『レイナ』っていうんだ。あなたの今の戦巫女」
「やはりマリアかっ! どこだ、姿を見せろ!!」
 くすくすからかうような口調の少女の声に対し、カイザーの語調には明らかな怒気が強くにじみ出ている。
「怖い声……でも、そういうところが好きなの。あなたのそういうところが」
 少女の声がこの場に木霊し始めた当初、一体どこから聞こえてきたのかハッキリしなかったが、次第にその焦点が定まってくる。
 二体の巨人の間に現われつつある、その姿同様に。
「まさか、本当に彼女が蘇っているとは…………」「Forgive us, my lord!」
 既に合体を終えていたグランクロスとグリファリアスは、巨人の頭部辺りの高さで幻影のような感じはなく、少女『そのもの』が余裕の笑みを浮べてながら静止している様子を見て、口々に驚嘆の声を上げた。
 ややウェーブがかった栗色の髪とネグリジェを思わせる柔らかな生地で作られたワンピースのような衣服を緩やかな風に棚引かせながら、少女は薄紫の唇に微笑を見せている。
 ほっそりとした顔立ちは目鼻立ちが通っており麗奈同様に可憐な印象を与えるが、麗奈があくまで純粋に可憐な雰囲気のみを備えているのに対し、両腕を後ろに組んで宙に佇んでいるこの少女にはどこか小悪魔的なところがあった。

「あなたが……あなたがわたしの前の……!?」
 大丈夫ですか!? と近寄ってきた涼子たちの手を借りてよろよろと立ち上がった麗奈は、困惑の面持ちながらも強い視線で少女を睨む。
 彼女の問いかけに少女は一度静かに頷くと、口元に笑みを浮べたまま、しかし麗奈と同じくらい強い調子で言い放った。
「……だから、わたしとカイザーは一緒にいなきゃダメなの」
 装甲神たちにマリアと呼ばれた少女はそこで初めて、背中に回していた両手を露にする。
 その右手には、麗奈が辛うじて彼女の右手に握り締めている杖と瓜二つの、やはり龍の意匠が施されている杖−ただし色合いは麗奈の赤とは違い灰色が基調のもの−があった。
「龍の杖……!?」
 恵梨が大きな眼を一層見開いてマリアの持つ杖を凝視したが、事の成り行きが十分理解できずにいる彼女はただ見守る事しか出来ない。
それは沙希や涼子、そしてカイザーから話を聞いていたとはいえ、聞いたすぐ傍から彼が懸念していたような事態が生じるとは考えてもいなかった麗奈とて同じであった。
「昔のような姿にしてあげるわ、カイザー」「……ふざけるな! くっ……!?」
 赤き装甲神は握り締めた拳を少女の方に向けて抗議の意思をはっきりと示したが、少女の杖の先が向けられた途端、カイザーの身体は金縛りにかけられたかのように身動き一つとれなくなってしまった。
「いかん! 麗奈殿、早くナーガを召還しろ!!」「Hurry up,麗奈!」
 その様子を見た大地と空を司る装甲神の鬼気迫る警告の声でハッと弾かれたように右手を再び高く上げようとする麗奈。
 だが、マリアは「もう遅いわ」とでも言うようにくすくす笑いながら、麗奈より早く自分の龍の杖を異空間と繋がっている空へと掲げていた。
「出でよ! 龍帝ダロス!!」
 その言葉と共にマリアの手から離れた杖は、空中で優雅な曲線を描きながら光とともに雷雲を呼び起こし、杖自身はその雷光を浴びて、灰色の炎で作られた竜巻へと姿を変える。
 そして、その竜巻の中から麗奈が召還すべき龍王が、いや龍王ナーガに極めてよく似た姿を持つ巨大な龍が獰猛な雄たけびを上げて姿を見せる。
 ナーガとの相違点は杖同様、その色が赤ではなくグレーがベースになっている事だけだ。
「ダロスと合体するのよ、カイザー!」「そ、そんなわけには……ううっ…………!!」
 マリアの一言に真っ向から刃向かったカイザーであったが、ダロスの発する雄たけびを耳にした途端、両手で頭を抱えて苦悶の叫びを上げながら地面に肩膝を付いた。
 そこにダロスの両目から放たれた磁力光線のようなビームがカイザーの身体を捉え、赤き装甲神をそのまま宙へと強制的に舞い上がらせる。
 磁力光線の中でカイザーの身体は彼の意志に反して合体体勢に変形させられ、その上下から挟み込むように、やはり分離・変形したダロスのボディが猛スピードで迫っている。
「……グリファリアス!」「OK、このまま合体させる訳には行かない!!」
ほぼ同時に大地を蹴って空へと舞い上がった二体の装甲神は、合体を阻止しようとカイザーと灰色の龍帝の間に身体を割り込ませようと試みた。
だが、磁力光線に近づいただけで二体の身体はいとも簡単に弾き飛ばされ、元々立っていた場所に叩き付けられてしまい、苦痛に満ちた声と共に激しい砂埃が巻き起こって麗奈たちの視界を一瞬奪う。
「そんな、まさか……」
 そして麗奈が砂埃から身を守ろうと顔の前でクロスしていた両手を解いた時、彼女の目の前には豪快な地響きを上げて着地した非常によく見知っている、だが今は『いつも』とは違う巨大な装甲神の姿があった。
 灰色の龍王と化したドラグカイザーの姿が。
「これがカイザーにふさわしい姿なのよ。わたしを守ってくる、わたしだけを見ていてくれる、カイザーのね」
 マリアは満面の笑みをたたえながら、自分の方へと差し出されたドラグカイザーの掌の上に降り立つと、まずは地上で呆然と自分の事を見上げている麗奈に、次いで自分の言葉に応じて自分の方に顔を向けた灰色の龍王に嬉々とした表情を向けた。
「……さてと、邪魔者は消さなきゃね。そうでしょ、カイザー?」
 この時、時計の針は既に12時を通り越し、日付は次の日へと移っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To be continued...

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