<同日午後2時52分 京都市上京区京楠大学人文学部微古生物学研究室>
「……こんな馬鹿な! 測定機器が間違えておるんじゃないのか?」
「そう思って僕もチェックしましたが、どこにも異常は見当たりませんでした」
 研究室のコンピュータが表示している数字を見て素っ頓狂な声を上げる岸源五郎博士と同じく、「信じられない」という表情ではあるがどこか淡々とした口調のまま話す御国森教授の頭には、一つの仮説が浮かんでいた。
 あまりにも恐ろしい、と形容しても過言ではない一つの仮説が。
「布と遺骸の年代の解離を、君はどう解釈する?」
両腕を組んで忙しなく部屋の中を歩き回りながら当然の疑問をぶつけてきた老博士に、教授が心なし青ざめた顔で「もしかすると……」
 と自分の仮説を告げようとした時、彼らが居る部屋が激しく揺れた。
「のわっっと!」
 少し間の抜けた悲鳴と共に、まるでバナナの皮に滑ったかのような転び方をした岸博士の身体を辛うじて支える教授。
「……今のは地震か?」
 すまんのう、と断りながらよろよろと立ち上がった博士の言葉を、とっさに窓の外へと視線を向けた教授が即座に否定した。
「もっと恐ろしいものですよ」
 窓の外−つまり京の空を覆い尽くしているのは、今は灰色の雨雲だけではない。
 雨は止みつつあったが、その代わりに教授がその遺骸と思しき骨片を放射性炭素分析法にかけた相手……カイザーらが『ロムレス』と呼んだ黒い鳥型妖魔の群れが陰の支配する空に巣食い、眼下の京の街をその獰猛な爪や嘴、さらには口から放つ破壊光弾で手当たり次第に襲撃しているのだ。
「何てこった…………」
 自分の目で地上に起こりつつある出来事を確認した岸博士が半ば茫然としながら呟いた直後、建物が再び大きく震える。
 ロムレスの群れはまず上京区から中京区の辺りを集中的に狙って来ているようだ。
(やはり、僕の考えが当たっているのか……)
 教授の眉間に険しい皺が寄り、右の拳で左の掌をバチン!と悔しそうに叩いた。
 麗奈にとってあの赤き装甲神が重要な存在であるのと同様に、その彼女を守ってくれるカイザーは教授の眼から見ても最も頼りに出来る『人物』と言えた。
 その彼をむざむざ『失う』結果になってしまうとは……教授はそう悔やみながら、妹・麗奈の事を思い浮かべた。
 自分の考えを話したところで、カイザーが『戻って』くる訳では決してない。それどころか、麗奈に彼女自身を責めさせる材料を与える結果になってしまうかもしれない。
「……とにかく、早く建物から出ましょう」「その方が良さそうじゃな」
 ひどくお腹に堪える衝撃が続く中、博士をかばうようにしつつ急いで研究室を後にした教授はまだ決断しかねていた。

<同日同時刻 京都市下京区旅館『夕顔』玄関前>
「あれだけの数の妖魔(ロムレス)が一度に出現するとは……!」
「マリアの奴、とうとう自棄でも起こしやがったか!!」
 沙希の手の中にいるグランバイソンとグランタイガーが、我が物顔で空を覆い尽くしている鳥型妖魔の群れと、その集団を率いるかのように宙を舞う灰色の龍の姿を目視するなり、怒気を含む大声を上げた。
「それだけじゃない。カイザーの『居る』近くでは奴らが暴れまわってる!」
 ファリアスの言葉通り、鴨川付近では二大装甲神に十二分に対抗しうる能力を秘めた阿吽の巨大妖魔が悠然と京の街を行進していた。
 時折、思い出したように行く手にあるビルなどを破壊しているが、まるでそれは気晴らし程度といった感じで、自分達が戦うべき相手を待っているのは明らかだった。
今にも自分の手元から飛び出しそうな蒼き装甲神を首に下げたまま、恵梨は「どうする?」という視線を沙希に送った。
「……あたしたちは、あたしたちの出来る事をするまでです」
 イヤリングと化した己の装甲神たちをいとおしそうに掌に載せたまま、何も迷う事なくその言葉を告げる沙希。
 彼女の答えに大きく頷いた恵梨が、妖魔が傍若無人に暴れまわる所に駆けつけるべく右足を大きく前に伸ばした時、自分たちの背中から救急車両のサイレンが近づいてきた。
 恵梨たちが振り返ると、センチュリーを改造した一台の覆面パトカーが先回りするかのようにして彼女たちの手前でタイヤを軋ませて止まる。
「巨大妖魔は装甲神っていう君たちの『守護者』たちに任せるにしても、丸腰のまま鳥型妖魔の群れに挑むつもりかい?」
 覆面パトカーの窓ガラスが開くと、そこにはハンドルを握る神楽刑事の姿があった。
 その助手席には3丁の特殊ライフルを抱え持った涼子がいる。
「今回は状況が状況だけに、前面的にバックアップさせてもらうよ」
 窓から身を乗り出すようにして恵梨たちに敬礼する神楽。
 それが戦巫女たちだけでなく、イヤリングとネックレスに姿を変えている装甲神たちにも向けられたものであるのは言うまでもない。

<同日同時刻 京都市上京区晴明神社前>
「晴明殿の姿が見えるという事は、お前は相当強い霊力を持っている事になるな」
「……もしそうだとしても、わたしは自分の大切な人を守る事ができなかった。
そればかりか…………!」
 那魅の傘の下に身を置いたまま、麗奈は視線を地面に落とし、右手の拳をぎゅっと強く握り締めた。
血が滲み出るのではないかと思われるほど、強く。
 石畳を容赦なく打ち付ける雨に混じり、止めきれなかった涙が一筋、麗奈の瞼からこぼれ落ちて、水溜りの雨の中に溶け込んでいく。
「『ありがとう』……その大切な人は、お前にそう言わなかったか?」「えっ……?」  あまりに唐突に思えた那魅のその一言に、
再び彼女の整った相貌を見上げる麗奈。
 那魅自身は魑魅魍魎が跋扈する空と、その襲撃に曝されている京の街を静かに見つめる安部晴明の方へと
切れ長の瞳を向けたままであった。
 顔色一つ、変える事なく。
「まだ退魔師を生業としていた頃の事だ。私には契りを交わした相手がいた。
 だがある時、以前私が封印した悪霊が彼に取り付いた。
 悪霊の怨念は凄まじく、完全に退治するためには取り付かれた彼の命を犠牲にしなければならない……私は戦うことを躊躇した」
「……でも、最後は那魅さんの手で?」
 麗奈が予期した通り、感情を押さえ込んだ自分の言葉に那魅は軽く目を閉じて頷く。
 今ここに那魅がいる事……そして、浴室で見た彼女の背中の傷が全てを物語っているように麗奈には思えたのだ。
「相手が本当に自分の命を奪おうとしていると分かった時、私は無意識に彼の身体を霊剣で薙ぎ払っていた……それで全てが終わった。
 だが、彼は息を引き取る際にこう私に言った。『ありがとう』とな」
 続きを躊躇ったのか、那魅が少し口を噤んだ時、まるで怪鳥の鳴き声を通奏低音のようにして幾つもの爆音が耳に届き、
二人は思わずそちらの方に視線を向ける。
 鳥型妖魔の群れの思うが侭に蹂躙され続けている京の街や人々の姿がそこにはあった。
「……私はそこで初めて悟った。
 彼が、私を傷つける苦しみを早く断って欲しかったのだという事を。
 だがしかし、そう分かっていても私は今も後悔している。
 彼を救う手立てが本当に無かったのか……あるいは、何故もっと早く彼の気持ちに気が付いてやれなかったのか、と。
この迷いや後悔は恐らく、一生背負っていくのだろうな」
 彼女はそこで初めて麗奈の方を見た。
 悲哀の色を潜ませた切れ長の眼で麗奈の姿を見つめている彼女の瞳は、
恋人に手をかけた時の自分の姿を麗奈に重ね合わせているのだろうか。
「だから私はお前に迷うなとは言わない。思いっきり迷えばいい、後悔すればいい。
 ただに自責の念に溺れるあまり、今自分がすべき事だけは見失うな。
 お前を大切に思ってくれた人は、そんなお前を守りたかったわけではないだろうからな」
 那魅はそう言って腰帯に差していた一本の扇子を手に取ると、意志のこもった強い瞳で麗奈を見つめたまま、
「受け取れ」とでも言うように彼女へと差し出した。

 

<同日午後3時01分 京都市二条通り付近>
「見えた! あそこよ!!」
 後部座席から運転席の方に身を乗り出すようにして、前方を指差す恵梨。
 その先には阿吽の巨大妖魔が己の周囲から立ち上っている黒煙を纏いながら、余裕綽々といった態度で平安神宮の方へと迫っていた。
「鳥型妖魔の群れが、こちらに向かってきますわ!」「後からも来てるです!!」
 涼子と沙希がやや甲高い声で口々に発する警告を受けた神楽は「しっかり捉まっててくれよ!」とだけ早口で注意すると、アクセルをめいっぱい踏んで車の速度を上げる。
急な加速に抗うかのようにタイヤが悲鳴を上げ、エンジンが鈍い音を立てながら踏ん張ろうとしている中、
恵梨もまた「おっとっとっ!!」と言いながらも何とか運転席にしがみ付き、
  元々座っていた後部座席に叩き付けられそうになるのだけは避けた。
「うしろの妖魔がビーム弾を撃ってきますよ!」
 神楽が沙希の言葉をバックミラーで素早く確認すると、そこには一匹の妖魔が禍々しい嘴をこれでもかというほど大きく開いて、
緑色のエネルギーを球状に集めつつある様子が映っている。
ちっ! と短く舌打ちした神楽は、バックミラーを視界の端で捉えたまま光弾が妖魔の嘴から離れるギリギリのタイミングを見計らい、
ハンドルを切った。
次の瞬間、車体がほんの少し前に通り過ぎたばかりの道路に凄まじい爆発が起こる。
外れた事に苛立ったかのように奇怪な鳴き声を一度上げると、鳥型妖魔は地上めがけて光弾を矢継ぎ早に放ってくる。
その度に神楽は神業的なハンドル捌きを見せて、紙一重のタイミングで後方からの攻撃を避けつづけながらも前へと車を走らせ続けた。
「だあーっ! もう、やられっぱなしじゃやってらんないよ!!
……家具屋さん、これの扱い方はどうすればいいの!」
何発目かの光弾がセンチュリーの近くで弾け飛び、その衝撃が収まりきらない車内で痺れを切らせた恵梨が涼子の手元から特殊ライフルを奪い取り、サンルーフを開けてそこから身を乗り出した。
 慌てて彼女の身体を前後から支える沙希と涼子。
「ちょ、ちょっと恵梨さん! あぶないですぅ!! 神楽さんも何とか……」
 言ってください! と続けようとした沙希だが、その前に頼みの神楽は「狙いをしっかり定めて、引き金をひけばそれでOK!!」と叫んでしまっていた。
「了解、了解! これでも……喰らえ!!」
 自分の素手で妖魔を殴り飛ばすような気合いを込めながら、恵梨がライフルの引き金を思いっきり引く。
 不安定な姿勢のためか海老のように仰け反りそうになるのを必死でこらえたのと引き換えに、
薄い青で彩られた聖水がまるでレーザーのような勢いで宙を切り裂き、狙い違わず鳥型妖魔の身体を直撃した。
 聖水が命中した刹那、紅蓮の炎に包まれた妖魔が奇怪な断末魔の声を上げながら四散・消滅する様を、
ライフルを構えたまま見届けた恵梨がガッツポーズに代えて次のターゲットへと狙いを定めると、立て続けに聖水を連射する。
 その度に、鳥型妖魔の群れが跡形もなくこの世界から消滅していくのだ。
「恵梨さん、すごーい!! ……って神楽さん、まえ、前です!!」
「分かってるよ……恵梨ちゃんは早く中に入って! みんな、頭を低くしてろ!!」

 フロントガラス越しに、今度は前方にいたロムレスが破壊光弾をセンチュリーに向けて放とうとしている様子が映る。
 タイミング的に今度はどの方向にハンドルを切っても避けられそうもない。
そこで神楽はなんと、アクセルをさらに踏み込んだのである。
限界を超えての加速を促されたエンジンがほとんど暴発しそうな爆音を立てる中、全く正反対な方向で突き進むセンチュリーと光弾が出会う。 破壊光弾が猛スピードで疾走する車の上を通っていったのはほんの一瞬の出来事のはずだったが、神楽に言われるまま座席で頭を抱えるようなポーズをとっていた恵梨たちは、その禍々しい光とむっとするような熱風を確かに感じた。
光弾がセンチュリーではなく、そのすぐ後を滑空していた鳥型妖魔へと命中し、粉々に砕け散ってしまった事も。
もちろん、誤ってまともにその一撃を受けたロムレスもまた轟音と共に四散し、その爆発によって車体は一層の加速がついたように思えた。
「ふぅ……何とか助かりましたわ」「今日の神楽さん、過激ですぅ……」
 また一つ難を逃れた事で、安堵の息を付く涼子と沙希。
 だが、今までの光弾の雨とは少し異質の、地響きのように鈍い衝撃が車体を激しく揺り動かした。
「あっ、足! 神楽さん、接近しすぎだよ!!」「ちょっと調子に乗りすぎたかな……」
 恵梨の言葉通り、異様なまでに黒光りしている巨大な足がもう数歩前へと足を踏み出してしまうと、彼女達の乗るセンチュリーが踏み唾されてしまいそうな状況になっていた。
 鳥型妖魔の方に神経を集中させてしまったために、目標としていた二体の巨大妖魔に近づき過ぎていた事に気が付かなかったのである。
 最後の猛ダッシュがそれに拍車をかけた事はいうまでもない。
 神楽は慌てて車をバックさせると、巨大な足から適当な距離を取って車を停止させた。
「あの巨大妖魔は君たちに任せる。僕たちは上空の鳥型妖魔を叩く」
 涼子から特殊ライフルを受け取りながら、神楽は沙希と恵梨の掌の中にいる装甲神たちに話し掛けた。
「待ってました! 合点承知の介だぜ」「私たちに任せてください」
「その代わり、神楽は恵梨たちのことを頼む!」
 装甲神たちの言葉に「もちろん」と神楽刑事は大きく頷くと、車のダッシュボードについていた無線機をつかんで交信状態にする。
「神楽です。只今よりオペレーション『ディファイアント』発令します。
市内に展開している各分隊は鳥型妖魔に向けて攻撃を開始して下さい」
「こちら県警対策本部。オペレーション『ディファイアント』発令、了解。
 各部署ならびに関係諸機関への伝達、完了しました」
「神楽以上、交信終了」
彼は静かに無線機を置くと、特殊ライフルを手に車から降りた。
それに従うかのように、涼子たちもドアを開け、雨で濡れたままの地面に立つ。
神楽と同じようにライフルを手にしているのは沙希と恵梨。涼子は予備のカートリッジと拡張パーツを幾つも抱えている。
 ゆっくりと顔を見合わせ、互いに頷きあった沙希と恵梨がライフルを持っているのとは反対の手を、
不吉な雨雲と禍々しい翼で覆われた空へと高く掲げる。
 その刹那、沙希の手からは黄と緑の、そして恵梨の手からは青色の光たちがほどばしり、
  空に立ち込める暗雲を薙ぎ払うかのように一度天高く舞がると、各々の光の残滓に包まれながら、
待ち構えていた二体の巨大妖魔の前へと轟音立てて降り立った。
「獣王グランクロス、只今推参!」「空王グリファリアス、ここに飛来!」
 名乗りと共に、ファイティングポーズを取る二大装甲神。
 それぞれの相手がどちらなのか、それは戦う前から既に決まっている。

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