グッバイ、マイ・フェア・レディ 第三夜/On my way home...

<同日午前11時23分 京都府警本部・臨時妖魔対策室>
 たった今、東京の警視庁から届いたばかりのアタッシュケースの中身を取り出し、組み立て始めた神楽悠馬の表情は複雑だった。
「これは一体何です?」
「我が妖魔対策班が誇る、対妖魔用の最新装備だよ。まだ10丁程しかないけどね」
 病院から密かに『脱出』するのを手伝ってくれた水無月涼子の問いに、口調こそは柔らかだがニコリともせずに答えた神楽が
最後のジョイントを繋ぎ合わせると、彼の手の中にはSF映画に出てくるような大型のライフル銃が出来上がっていた。
「カートリッジに充填した御国守神社特製の聖水を超高圧・超スピードで打ち出す特殊ライフル……平たく言えば高性能な水鉄砲だね。
拡張パーツを追加すれば、カートリッジそのものを一発の『弾』として発射するランチャーモードに仕様変更できる」
 解説しながらライフルを構えた神楽が少し顔をしかめる。
 以前手にした開発途中の段階よりも若干軽量化されているにも関わらずひどく重たく感じるのは、昨夜の戦いで受けた傷が痛むからだろう。
「大丈夫……ですか?」
 涼子が心配するのも無理はない。
 肋骨が2,3本確実に折れており、医者からはしばらく安静が必要と言われているところを抜け出してきたのだ。
「こう見えても、身体は結構頑丈なんだ」
 そんな彼女を安心させるように神楽は今日はじめて微笑を作ってみせたが、すぐに真顔に戻ってこう付け加えた。
「それに、麗奈ちゃんの手を汚させる訳には行かないからね」
「神楽さん……それってまさか…………!!」
 眼鏡の向こうにある二つの瞳をハッと大きく見開いた涼子は、全てを口にする事が出来なかった。
 彼女の言葉の続きを代弁するかのように、神楽は黙ったまま首を縦に振っていた。
 恐ろしいまでに険しく、暗い表情で。

<同日午後2時51分 京都市上京区一条戻り橋付近>
 身体を激しく打ちつける雨すら、御国守麗奈には現の出来事とは思えなかった。
 自分が自分の意志で『歩いている』という感覚さえも、自分と違って傘を手に道を行き来する人々の気配すらも感じられなかった。
 逃げ出したかった。変えようのない出来事から。
 自分を取り囲む現実という障壁全てから。
 そして、自分自身から。
「……どうして…………どうして、わたしをカイザーの前に居させてくれなかったの!?」
 病院で目が覚めた時、傍に寄り添う兄・教授に対して言い放った自分の言葉は、
カイザーを失った当初は『どこかに置き忘れていた』激しい感情のうねりに支配されていた。
 自分が意識を失うまでずっと、兄が彼女の望むままに物言わぬ石像と化した赤き装甲神の前に居させてくれた事など明らかなのに。
 兄を責めても何の解決にならない事など分かっているのに、麗奈は兄の行為を責めた。
 彼女の言葉に、兄はただ「すまない」と言って憐憫の眼で自分をずっと見つめた。
 その優しさから麗奈はとにかく眼を背けたかったのだ。
理不尽な感情を受け止めてくれる教授の姿が、これまで何の見返りもなく自分の傍に寄り添ってくれた赤き装甲神の姿と重なって映る事が今の麗奈には耐えられなかった。
教授もまた自分の前から消えてしまうのではないか。彼だけではなく、沙希や恵梨、涼子といった大切な人を自分の手で
殺めてしまうかもしれない……現に麗奈は詩織の『身体』と傷つけあってしてしまった。
不意にそんな予感が頭の中をよぎった次の瞬間、彼女は兄の制止を振り切ってベッドから跳ね起き、
気が付くと雨が降り続ける病院の外へと出ていた。
 それからは何処をどう走ったのかはまるで覚えていない。
 ただ、赤き装甲神の『居る』平安神宮の方へとだけは足が向こうとしなかった事だけは確かだった。
 何故カイザーの傍に居させてくれなかったのか、と兄を責めたにも関わらず。
今もう一度カイザーの前に立てば、その光景がまざまざと思い出されるばかりか、激しい後悔の念が襲ってくる事など分かっている。
 最後に自分の頬に触れようとしたカイザーの眼は信じられないほどに穏やかだった。
ありがとう……と優しい声で彼女に礼を言う言葉まで聞こえてきそうなほどに。
「勝手…………だよね」
 わたしもあなたも……と麗奈は心の中で続けて、歩みを止めた。
 そこで彼女は初めて、自分を蝕もうとする冷感を覚えた。
降りしきる雨が彼女の身体の芯まで凍てつかせようと、ただがむしゃらにぶつかってきているが、
 その雨の冷たさよりもずっと激しく麗奈は冷たい感覚に襲われていた。
両腕で自分の肩を抱くようにしてその寒さを何とか耐え凌ごうとする麗奈だが、その華奢な身体を襲う震えを止める事ができない。
まるで、壁が崩れ落ちた家で寒風をやり過そうとしている旅人のように。
そのまま堪え切れずに、雨を徹底的に拒絶している石畳に両膝を付いて、目の前にある建物を拝むかのようにして跪いた。
 質素ながらも、何処か荘厳な雰囲気に満ちた建物は神社だった。
 五茫星を象った提灯がこの神社の境内を守護するかの如く強い霊力を放ち、
その一方で門の前に立つ狩衣に烏帽子という平安装束を纏った美形の男性が、雨と陰に包まれた空を憂うかのように見上げている。
「……ここは一体?」「お前にも、『彼』が見えるのだな?」
 微動だにせず空を仰ぐ男性の、この世の存在とは到底思えないが確かに自分の目の前に『居る』という不思議な存在感に圧倒され、しばらく無言でその姿を眺めていた麗奈がようやく口を開いた時、彼女は後ろに他人の言葉と気配を感じた。
「那魅……さん…………?」

 麗奈を自分の和傘で覆うのようにして、何時の間にか麗奈の傍に立っていたのは『夕顔』の若女将・御月那魅だった。
「ここは、かの高名な陰陽師・安部晴明殿を奉る晴明神社」
「えっ……じゃあ、そこにいる人って、もしかすると?」
 驚いて那魅の顔を見上げる麗奈。
「……晴明殿は、これから京の都に振りかかる災いを憂いておられるのだ」
 聖書を朗読するかのような、厳粛な調子で言葉を紡ぐ那魅。
 それを聞いた麗奈の頬に、濡れた彼女の髪をつたって雨の雫が流れ落ちた。

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