「ふうっ」
庭の物干し竿に大量の洗濯物を干し終えて、綾は満足そうにニッコリ笑った。
空は快晴、どれもすぐに乾くだろう。
綾は洗濯が好きだ。
特に緑の芝生と白いシーツのコントラストは見ていて気持ちがいい。
「うーん!」と綾は大きく伸びをした。
この後、少し休憩時間が入る。
屋敷に戻ろうとした綾は、そこでふと足を止めた。
――綾――
若い女性の声が自分を呼んでいる。
「え?」
周囲を見回したが、誰もいない。
――綾――
声は屋敷の裏手から聞こえてくるようだ。
相手の姿はないのに、どういうわけかはっきりと耳に届く。
いや、直接頭に響くといってもいい。
普通に考えれば気持ちの悪い状況である。
だが、綾はためらいつつも、声のする方へと向かい始めていた。
声に悪意や敵意を感じなかったというのもあるかもしれない。
だが何より不思議な力に導かれるようにして、綾は裏庭へと着いた。
初めて来るそこは、木々と塀、それに屋敷が大きく影を落としていて、さっきまでいた所とは対照的に薄暗い。
――綾――
今度ははっきり、声がどこから来るのか分かった。
庭の一角に置かれた小さな社の中からだ。
そんなものがある事を、綾は今まで知らなかった。
「え、えぇと……どちら様ですか?」
間抜けな質問だが、綾としては大真面目である。
答えも大真面目に返ってきた。
――妾の名は烈風神。力ある者によって異世界より召喚され、鋼の身体を与えられた者だ。綾よ。妾は今、そなたを必要としている。力を貸して欲しい――
「え……? それってどういう……」
聞き終わるより先に、社が輝いた。
壁板の隙間からこぼれるように、幾筋も光線が立ち上り、扉が内から開かれる。
一気に溢れ出した輝きが綾の視界を包み込んだ。
「わわっ……!?」
思わず目を閉じたが、痛みや衝撃はない。
恐る恐る目を開けると、周囲は真っ白になっていた。
――今"異形"どもが再び世界を侵そうとしているのだ――
その言葉と共に、光のスクリーンに奇怪な姿がいくつも浮かびあがった。
確かにどれも異形、怪物としか言いようがない。
例えばその内の一体。
二本の腕を持ち二足歩行をしているところは人間と同じだが、顔はのっぺらぼうで胴体と一体化しており、肌全体が黒くぬめっている。
影を立体的に、しかも醜悪に擬人化したようだ。
――"異形"は人に仇為す存在。こことは別の世界で生まれた憎しみの権化だ。かつて妾は三体の仲間と共に戦い、辛うじてヤツらの力を削ぐ事に成功した――
新たにロボットの映像が現れた。
「鋼の身体」というのだから、それが烈風神、もしくはその仲間なのだろう。
全体のカラーは緑を基調としており、背中には翼がある。
頭部は猛禽に似ているが、身体のラインは柔らかく、優美な雰囲気だ。
そして胸には、エメラルドを思わせる円形の巨大な宝石が填め込まれている。
ロボットは空を飛び、爪を走らせ、槍を操って、次々に怪物を倒していった。
――しかし、"異形"どもは再び目覚めようとしている。召喚された者の内、今戦えるのは妾のみ――
烈風神はそこで一拍置いてから続けた。
――未だ眠れる力を持つ娘、綾よ。我と一体化し、"異形"と闘って欲しい――
「ええ!? あ、えぇと……そんなっ、戦えなんて急に言われたって困りますよぉっ!」
いきなりの荒唐無稽な話に、頭がグルグル回って、なんと返答すればいいのか分らない。
それでも綾は言葉を探し、大声で訴えた。
「まだ、あなたがどういう人なのかも知らないし、やっぱり恐いし、それに私、いつも失敗ばっかりしてるんですっ! 今日も危なくお皿を五枚まとめて割っちゃうところで……っ! だからっ……だからっ!」
――…………――
力説する綾に何を思うのか、声――烈風神は無言だった。
「…………」
――…………――
言葉が続かなくなると、沈黙が訪れる。
それに耐えきれず、綾はもう一度叫んだ。
「と、とにかくごめんなさい!」
大きくお辞儀をして、彼女はその場から逃げ出したのだった。