4.血痕
 次の日の朝。昨夜の妖魔の事を気にかけながら、麗奈が登校するとクラス中が妖魔の話
題でもちきりだった。
 何と、妖魔らしき怪物が例の図書舘付近に現れ、朝一番早く学校に出勤した担任の西村
先生を襲ったというのだ。  その証拠に、あまりに驚いて気絶してしまった西村先生は保健室で『唸って』おり、朝
のホームルームは教授が代わりに行った。
(やっぱり、昨日の妖魔は倒しておかなきゃいけなかったのかな……)
 兄の事があるとは言え、昨晩の妖魔を見逃してしまった結果、担任の先生を寝込ませてしまった事に自責の念を感じた麗奈は、詳しい話を聞くべく昼休みに保健室へと赴いた。
 そこには偶然、終礼の際に伝える事がないかを尋ねに来ていた教授も居合わせていた。
「あれは本当に怖かったわよ。のっぺりした顔の、身体つきががっしりしている化け物が三匹も、それも突然ぬっと現れたんですもの。
夢中でハンドバックをぶつけたトコまでは覚えてるけど、後は面目なくこの通り……」
「ちょ、ちょっと待って下さい。先生が見た化け物って、細身で天女のような衣を纏ったのとは違うんですか?」
「もう全然。御国守さんが言っているのとまるで正反対のヤツよ。
多分、あたしが見たのが最近学園内の噂になっている『のっぺら坊』って仇名の妖魔だと思うわ。まさにその通りの顔をしてたもの」
 今でも怯えているかのようにブルブル震えながら話す西村先生の言葉に、麗奈は思わず考え込んでしまった。
 昨夜の妖魔は一体。だが、西村先生の見た妖魔は三体で、しかも話を聞く限りでは体型や特徴が全く違う。
 異なる妖魔が別々に出現したというのだろうか。それとも何か関連があるのだろうか。
 そして、桜の木で自殺したといわれている大槻彩乃先生と今学園を騒がしている妖魔との間にはやはり何か関係があるのだろうか?
 手がかりを求めて、麗奈は教授と共に図書館の方へと足を運んだのだが……。
「……立ち入り禁止ってどういうこと?」
 さすがに人通りのない図書館と傍らに佇む桜の木を囲んで、工事用に使うロープと立ち入り禁止の看板が立っている。
「智ちゃんの話だと、工事はまだもうちょっと先だって聞いてたけど……」
 麗奈が自分と同じように首を傾げている教授と顔を見合わせた時、彼女たちを咎めるような低音域の声が聞こえてきた。
「君たち、ここで何をしているのかね?」
 二人が振り向くと、そこには関取と見間違うほどに恰幅の良い松居教頭が不機嫌そうに立っている。
「『立ち入り禁止』の看板が見えないのかね? 
今朝の騒動もあって、ここは今日から工事が終わるまで立ち入り禁止だ」
「すみません」
 麗奈は素直に頭を下げたが、松居教頭はぶすっとした表情のまま、いかにも「手間をかけさせるな」とでも言いたげな口調で彼女を睨みつけながら、
「何時ぞやみたいに、ここで誰かに自殺でもされてはかなわんからな」
 と吐き出すように言い捨てる。
 そのあまりの態度に、さすがの麗奈もカチンと来たのか声を荒げて抗議する。
「教頭先生、そんな言い方ってあんまりじゃありませんか!?」
 だが松居教頭は彼女の抗議の言葉などまるで気にする事なく、「ふん」と鼻で笑いながら生徒の肩をポンポンと馬鹿にするかのように右手で何度か叩くと、ひどく威圧的な声色で最後通告を出した。
「とにかく、直ぐにここから立ち去りたまえ」
 麗奈はなおも怖い顔で自分達の方をギロリと睨んでいる教頭先生の顔を見据えていたが、行こう……というように軽く腕に触れた兄に促されるまま、やむなくこの場を立ち去った。
「…………大槻先生の事、あんな言い方しなくてもいいのに」
「気にするな。あの教頭は前から高圧的な人だったからね」
 校舎の方に戻る途中、悔しそうな表情のままでいる麗奈をそう言って慰めた教授の表情が、妹のある一点を見て急に険しいものになった。
「どうかしたの?」
 兄の異変に気が付き、怪訝そうに尋ねる麗奈。教授は妹の左肩をじっと凝視している。
 麗奈が着ている紺色のブレザーに小さな染みが出来ていたのだ。
「ちょっと、そのままじっとしていてくれよ」
 教授はウェットティッシュを一枚取り出すと、ブレザーの染みになっている部分の上にそっとティッシュを置いて、染みの一部を移し取った。
「これは血だな……」
「えっ? やだ、どうしてこんな所に……?」
 紙片に染み出た薄っすらと淡い赤褐色の染みを注意深く眺めていた教授が呟くと、麗奈はあわててブレザーを脱いで自分の左肩を確かめる。
 知らない間に怪我でもしていたのかと思ったのだろうが、ブレザーの下の白いシャツには汚れもなくその色を保ったままだ。
「麗奈、そのブレザーを駄目にしてもいいかな? 新しいのはもちろん僕が弁償するよ」
 しばらくティッシュと妹が手にしているブレザーを交互に眺めていた教授が、ハッと雷に打たれたような表情を浮かべると、奇妙な提案を妹に持ちかけた。
「う、うん。別に良いけど……でも、何をするつもりなの?」
 少し戸惑った様子ながらも、麗奈は言われるままに脱いだブレザーを兄に手渡したが、教授は礼を言いながら所望した上着を受け取るや否や、表情をひどく強ばらせたまま早足で麗奈の前から消えてしまったのであった。
 
 

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