2.学校の怪談
「授業、すっごく面白かったです。いきなり『DNAを構成する塩基はどうして4種類なんだと思う?』って生徒に考えさせる先生なんてそんなにいないですよ。
大抵は四つの塩基とその組み合わせを覚えさせておしまいって感じだから」
「ははは、でもテストや大学受験には絶対出ないよ。こんな事ばかり話しているから、先月も塾講のアルバイト、クビになっちゃってね」
 折角なので一緒に帰ろうとしていた麗奈と教授の元に駈け寄ってきた智子が、生物の授業の感想をやや興奮した口調で告げる。
確かに教授の教えた内容は少し変わっており、何かテーマについてじっくり考えさせるパターンの授業で、生物学という学問に対する生徒の興味は充分に引き出すのには成功していたように思う。
ただ、学習指導要領というものに照らし合わせれば恐らく落第だろうが。
「でも、兄さんが教職課程を取っていたなんて知らなかったな。てっきり、そのまま大学に残って研究を続けるんだと思っていた」
「教師の資格は取って置いた方がいいってアドバイスを受けてね。それに……」
 さも意外そうな妹の質問に答えようとした教授は、そこで少し口を噤むとちらりと左手の方を見遣る。
「あの桜の木と図書館を、もう一度見ておきたかったんだ」
 彼の視線の先では、古びた平屋建ての建物とその玄関近くに聳え立つ一本の桜の大木がまるで互いに寄り添い合っているかのように佇んでいる。
「この学校にいた頃、図書館で本を借りて良くあの木の下で読んでたんだ。
近い内に取り壊されるっていう話を聞いて正直驚いた」
「何年か前に補修工事したんだけど、やっぱり老朽化がひどかったみたいなんです」
 智子の言葉に「僕のいた頃に工事をしたよ」とポツリと口を挟みながら、教授は立ち止まって桜の木と図書館をじっと眺めて続けている。
 だが、その少し涼しげな眼は自分が在学した頃を懐かしんでいるという感じではない。
「でも桜の木まで一緒に切り倒しちゃう事ないと思わない? あんなに綺麗な桜の花をつけているのに……」
 兄の傍らに立ち、同じように建物と木を少し残念そうな眼で見つめる麗奈。
 彼女の言うように、歴史(とき)の流れを感じさせる悠然とした大木は、遅咲きではあるがとても見事な桜の花弁で鮮やかに着飾っていた。
 時折、風に揺られてひらひらと散る花弁の群れ……その優雅な振るまいを大きな瞳でつぶさに追いながら、麗奈はつぶやく。
「桜の木が美しいのは、その木の下に埋まっている人の血を養分にしているから……か」
「……梶井基次郎、だな」
 麗奈は教授の方に小さく頷くと、なおも華麗な桜の舞に目を奪われたまま言葉を紡ぐ。
 
 
「じっと見つめていると、なんだか魂を吸い取られてしまいそう…………智ちゃんは、そう思わない?」
「そ、そうね……確かに綺麗だもんね」
 何となく兄妹の会話に入り込めないでいた智子がちょっと戸惑ったような表情で適当に相槌をうった後、そうそう……と思い出したように切り出した。
「魂がどうのこうのと言えば、最近この辺りを奇妙な怪物がウロウロしてるって話、知ってる? ほら、巷を騒がせている『妖魔』とかいう化け物がいるでしょ?
 アレが遂にうちの学校にも出たんだじゃないかって、皆ちょっと怖がってる」
「『妖魔』、が…………?」
 智子の言葉が麗奈を急に現実へと引き戻す。
 彼女は何気なく腕のブレスレットに眼をやったが、金の腕輪は「分からない」とでも言うようにピクリともしなかった。
「まあ、妖魔かどうか別にして、ここって結構曰くつきの場所なのよ。
昔の事だけど、その桜の木で首を吊って自殺した若い女の先生がいるんだって」
「ふーん……兄さん、何か聞いたことある?」
 ひそひそ話をするように声をひそめて話す智子の様子に、麗奈は「またいつもの『智ちゃんニュース』が始まった」とちょっとだけ苦笑いを見せながらも、やはり妖魔の噂が気になったのか教授に意見を求めた。
 もし智子の話が本当だとしたら、妖魔がその女教師の彷徨える魂を利用していないとは言い切れないからだ。
「さぁ……僕は聞いたことがないな」
 だが、教授は曖昧な口調とは裏腹に、首を強く横に振って強く否定した。
 両方の眉を少し吊り上げながら。
 

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