「綾っ!」
 美保と広哉の声が重なった。
 たたらを踏むように二人は急ブレーキをかけ、180度方向を変えて、倒れた綾のもとへ戻る。
「ほら、しっかり!」
「う、うん!」
 左右から助けられて、綾は立ち上がろうとした。
 しかし、彼女らの近くに立つ銀杏並木の一本へ、"異形"が再生した指を向ける。
 ドゴオォォッ!
 放たれた岩は、銀杏の幹を半分以上削って、車道のアスファルトに大穴を穿った。
「わあっ!?」
 またも爆風が綾達を襲う。
 今度は彼女らも身を屈めていたため、吹き飛ばされるような事はなかった。
 だが、恐ろしいのはその後だった。
 銀杏がメキメキときしんだ音を立てて、綾達の方へ倒れてきたのである。
「あっ!」
 とっさに動いたのは美保だった。
 彼女は広哉を突き飛ばし、綾へ覆い被さった。
 木はその真上へ……。
「うぐっ」
 ドムッ、という重みに続いて、美保のうめき声が綾へ伝わった。
 綾は身を強張らせ、それから恐る恐る親友の名を呼んだ。
「美保ちゃん……?」
 返事はない。
「美保ちゃん!」
 綾は身をよじるようにして、美保の下から這い出そうとした。
 しかし、木の重さがそれを阻む。
 焦り、必死にもがく綾。その手を誰かが掴んだ。
「綾!」
 広哉の声が、綾を励ます。
 彼も美保のおかげで難を逃れていたのだ。
「んうぅっ!」
 綾は広哉の助けを借り、手足に力を込めて、ようやく自由となった。
 すぐに半身を起こし、しゃがんだ姿勢のまま振りかえる。
「美保ちゃん!」
 肩を揺らすと「う……」美保は反応した。
 閉じていた目をうっすらと開く。
「あや……」
「美保ちゃんっ、美保ちゃんっ」
 枝や葉がクッション代わりになり、衝突の勢いを和らげてくれたらしい。
 しかし、美保が目を覚ました事にホッとする余裕はない。
"異形"は綾達を嬲るように、ゆっくりと前進してくる。
 ズシン、ズシン、と一定の間を置いて、波打つように道路が揺れた。
「み、美保ちゃん!」綾は美保の手を握ると、何とか助け出そうとした。
 広哉もその小柄な身体で、銀杏の木を持ち上げようと頑張る。
「うぅぅん!」
 だが、非力な少女と子供では、とてもスムーズにはいかない。
「あたしは……大丈夫だから……あんた達……先に逃げなさい……」
 朦朧としながら美保は言う。
「何言ってるのっ!?」
「そうだよ! 美保を見捨てて自分だけ逃げるなんて、そんなの絶対にイヤだ!」
 綾と広哉は口々に叫んだ。
 少しずつだが、美保の身体は動いていた。
 しかし、彼女が木の下から出たとき、すでに"異形"はすぐ近くまで迫ってきていた。
 もう弾丸を撃とうとはせず、"異形"は身を屈めて綾達へ手を差し伸べてくる。
「美保ちゃん! 広哉様!」
 綾はさっき美保が自分へしてくれたように、二人をかばって上へかぶさった。
 目をギュッとつぶる。
 だが、予想したような痛みはなかった。
 代わりに頭上で、固いもののぶつかりあうような音が響く。
 ガシィィィッ!
「え……?」
 顔を上げると、今まさに鳥神形態の烈風神が"異形"へ体当たりを食らわせたところであった。
 不意打ちを受けた"異形"はそのまま数歩後退した。
 だが、そこから太い腕で烈風神を受けとめ、投げ飛ばす。
――くぅぅっ!――
 放り出された烈風神は、辛うじて墜落するまえに体勢を立て直した。
――綾、今のうちだ。二人を連れて逃げろ――
「ど、どうして……私、乗ってないのに……」
――妾だけでも戦う事は可能なのだ。ここは安心して任せろ――
 しかし、そんな言葉と裏腹に、烈風神は動くのがやっとのようであった。
 闇雲に突っ込んでは、その都度"異形"に打ち返される。
――ぐっ! がっ!――
「烈風神さん!」
 綾は悲鳴をあげた。
 脇では広哉が、そんな綾を呆然と見ている。
 彼には烈風神の声が聞こえていないのである。 
 だが、広哉の反応にも綾は気付かなかった。
(私……私は……)
 美保は自分がケガをするのも構わず、綾を助けてくれた。
 烈風神は綾達のため、勝ち目のない戦いを挑んでいる。
(私は……)
 広哉の叫びが蘇る。
 ……自分だけ逃げるなんて、そんなのイヤだ!
 ………!
(そう……私も……いや! 逃げないで、私にできる事をしたい!)
 知らず知らずのうちに、綾は拳を握りしめていた。
 今できる事……それは……。
「広哉様……」
 綾は美保をそっと地面に寝かせて、立ちあがった。
 強い決意を持って、大好きな少年に微笑みを見せる。
「私、行ってきます。絶対に勝ちますから、そうしたら二人で美保ちゃんを病院へ連れて行きましょう」
「綾……?」
 綾は上を見て、声を振り絞った。
「烈風神さん! 私、戦います! 烈風神さんと一緒に戦います!」
――綾……! 分かった! 力を借りるぞ!――
 烈風神の胴体に埋め込まれた緑色の宝石が輝いた。
 そこから一筋の光が伸び、綾へと届く。
 直後、綾は光と同化し、烈風神の中に転移していた。
「あ……」
 これまでの二回と変わる事なく、綾は生まれたままの姿になっている。
 視線を転じると、道路の上では広哉が目を大きく開き、綾――烈風神を見上げていた。
 彼の前で裸となっている事に、綾は頬を桜色に染める。
 だが気を取り直して、正面の"異形"を見据えた。
「……っ……」
 怖い。
 恐ろしい。
 でも……。
 絶対逃げない!
「烈風神さん! 変形を!」
――了解!――
 空中で身体を一回転させるようにして、烈風神は鳥神形態から闘神形態へと姿を変えた。
――いくぞ! 烈風脚!――
 烈風神の足の先端とかかとから、鋭い爪が飛び出した。
 それが"異形"の胸板を捕らえる。
 ガキィッ!
"異形"の巨体が吹き飛び、広哉達から離れた車道へ落下した。
「効いてる……!」
――綾よ、妾はそなたの心の有り様によって力が変わるのだ。今の妾とそなたなら……勝てる!――
「はいっ」
「ЩЦУБЕКМНОПХЫЮЯ!」
 もちろん"異形"の方も反撃をしてくる。
 起きあがり、自身の一部をつぶてにして烈風神へ放ってきた。
 しかし烈風神は動かない。
 避けられなかったのではない。避ける必要がなかったのだ。
 烈風神に当たると思われたつぶては全て、その直前で、不可視の壁に弾かれ霧散した。
 これもまた、綾の意志によって発現した能力の一つだ。
 装甲が固くない分、彼女は霊力によって障壁を作る事ができるのである。
 つながりが強くなったからだろう、綾の頭にも、言葉ではなくその情報が送られてきていた。
「烈風神さん! 今です!」
――承知! 飛天槍!――
 烈風神は光の槍を引き抜いた。
 彼女の中、綾の前で"異形"の腹の中心が赤く光る。
「あそこが核……!」
――そうだ、一気にいくぞ! 閃光交差斬!――
 ブンッ! ブゥン!
 立て続けに二度振るわれた槍は、その軌道が交わる一点に"異形"の核を捕らえていた。
 昨日は傷一つ付ける事ができなかった。
 だが今は。
 岩を切り裂き、核を四つに分断していた。
「ХВЁЗКХССПХИК!」
 断末魔の叫びをあげながら、"異形"はただの岩片に戻っていく。数秒と経たず、全身をアスファルトの上に崩していた……。



NEXT