第三話
「……ん……んん」
目を覚ますと、綾は知らない部屋のベッドの上にいた。
未だ頭に霧がかかっているようなぼんやりとした状態で、首と目だけを動かしてゆっくり周囲を見回す。
そうしてベッドの傍らに椅子があり、東雲美保が座っている事に気付いた。
「美保……ちゃん?」
「おはよ、気分はどう?」
軽さに加えて、少しだけ優しさを感じさせる親友の声。
綾は寝ぼけたように答えた。
「ん、普通。……ここ、どこ?」
「病院だよ。あんたは昨日の夜、倒れてここに運び込まれたの。けど、身体に異常はないから、普通に歩けるようなら退院していいって。どう? 屋敷には帰れそう?」
「うん……」
頷きながら、綾は湾岸基地での出来事も思い出していた。
恐怖に生々しさや具体性は感じない。しかしそれは、怖さを克服したからではなく、単に心が麻痺しているからだ。
シーツに肘を付きながら上半身を起こそうとするその動作も、機械的でひどく緩慢なものだった。
美保はそんな綾の背に手をやり、身体を支えてくれた。
そして姿勢を安定させた後、今度は彼女が立ちあがる。
「まだ本調子じゃないみたいだね。あたしは手続きをしてくるから、綾は無理しないで、後からゆっくりおいで」
昨晩、あんな倒れ方をした以上、綾の現在の状況がただ事でないのは、美保も確信しているはずだ。
しかし、それについて、美保はもう聞くつもりがないようだった。
一度尋ねて、相手が何でもないと言ったら、根掘り葉掘り干渉しない。
相手の気持ちを尊重しているとも言えるし、発言に責任を持たせる厳しい態度とも言えるだろう。
普段、おどけているが、美保にはそういう面が確かにあった。
「じゃね」
彼女はドアの方へ向き直る直前、綾の頭を軽くポンポンと叩いた。
「あ……」
何気ない親友の動作。
しかし、それはまるで何かのスイッチのように働いて、綾の心を呼び覚ました。
今まで眠っていた感情が一気に溢れてくる。
当然のように恐怖も度合いを増すが、それよりも強い安心感が、全てを覆い隠してくれた。
氷が溶けるように、砂へ水が染み入るように、「帰ってこられた」そんな実感が胸に広がり、綾は涙がこぼれそうになった。
「……美保ちゃん」
出て行こうとする美保を微かな声で呼びとめると、彼女はすぐに足を止めた。
「何?」
「あのね……ありがとう」
「ん……」
何の事、とは聞かず、ただ美保は背中を向けたまま、軽く頷く素振りを見せたのだった。