グッバイ、マイ・フェア・レディ 初夜/Primary direction,part1
<12月22日午後12時24分 京都市下京区旅館『夕顔』表構前> 天気が良いとは言え、海岸沿いに面している鎌倉と比べて四方を山に囲まれた盆地の中にある京都の冬は彼女たちにとって格段に堪えるはずであるにも関わらず、である。 |
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そうですね、と恵梨のおどけた仕草にくすくす笑いながら、表構を通って清楚な雰囲気の中庭の方へと足を踏み入れる麗奈。
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<同日同時刻 京都市上京区京楠大学人文学部構内> 「……はっくしょん!」「……くしょんっ!!」 「大丈夫ですか、二人とも? 風邪でも引いたんですか?」 前を行く二人がほぼ同時に大きなくしゃみをした事に、構内をもの珍しそうな目で見ながら歩いていた神楽悠馬(かぐら ゆうま)が目を丸くし、大事そうに手にしていたアタッシュケースを思わず落としそうになった。 「いや、急に鼻の辺りがムズムズしまして……」 「あたしもだ。誰かが噂してるな、絶対」 取り出したポケットティッシュで軽く鼻の辺りを拭いた御国守教授から、余ったティッシュペーパーを分けてもらった神代詩織がさも面白くもなさそうにちっ、と舌を鳴らす。 「きっと会計の日傘さんあたりじゃないですか? 先輩、うちの部署の今年度予算を十月の段階で使い切っちゃったから、年度末の帳じりあわせが大変だって嘆いてましたよ」 「そんな事を言われても、こっちは月に平均二回の遠方出張を抱えているんだぞ……今回の京都出張だって、交通費ですら半分以上実費ときてる」 部下の皮肉たっぷりな一言に、ぼやきで切り返す詩織。 彼女達が属する警視庁特殊犯罪課・妖魔特別対策班はその名が示すと通り『特殊』であるために、警視庁以外の各道府県警には妖魔対策班に該当する専門部署が存在しておらず、その結果として全国各地から妖魔犯罪に対する出動要請が詩織たちの元に舞い込んでくる。 詩織に同行することが多い神楽は「僕たち、まるで『Xファイル』のスカリーとモルダーみたいですね」などと冗談めいた事を言っていたが、少なくとも詩織が見ていた限りではあのドラマ内で主役のFBI捜査官二人が自分たちのように費用を気にしながら捜査をしているシーンは無かったはずであった。 「こんな事なら、無理にでも有給休暇を取って麗奈の誘いに乗ればよかったな……」 「麗奈ちゃんのお誘い? そういえば、この間珍しく麗奈ちゃんの方から先輩に電話をかけてきたような記憶が……」 ポツリと小さく呟いたつもりが神楽の耳にしっかり届いてしまっていた事も含め、詩織はそこで一度深々と溜め息を漏らした。 「ああ。実は『忘年旅行』とやらに誘われたんだが、断ったんだ。あの頃、千葉の方でちょっともめていただろう? あの事件がいつ片付くか分からなかったからな まあ、どのみちこの京都出張でドタキャンしていただろうけど」 「……だったら、噂の主は麗奈かもしれませんよ」 ちょっと唐突とも思えるタイミングで教授が口を挟んだ事に二人は「えっ?」と我が耳を疑いながら、ニコニコと穏やかな笑みを浮べている青年の方を見た。 ちゃんとしたスーツ姿である神楽とは異なりジーンズにグレーのタートルネックセーターというラフな格好や書生っぽい仕草(もっとも教授は正真正銘の学生なのだが)にも関わらず、教授の方が神楽より少しばかり年上のように感じてしまうのは、その温和な雰囲気によるものかもしれない。 ちなみに詩織の記憶が正しければ、本当の年齢はわずか1,2歳の差であるが神楽の方が上だったはずである。 「実は麗奈たちは京都(ここ)に来ているんですよ。行き先、聞いていませんでしたか?」 「行き先も聞かずに断ったからな」 詩織は電話でのやり取りを思い浮かべながら苦笑を浮べて肯定するその一方で、神楽が思いついたように口を開く。 彼等は『第二会議室』という札がかかっている大部屋の前に来ていた。 「じゃあ、御国守さんの言ってた『専門家』というのは麗奈ちゃんの事なんですか?」 「いえ、それは護符関係の事に関しては世界的な権威である……」 そう言いながら教授が重々しい扉に手をかけてゆっくり手前に引きかけている最中より既に、部屋の中から不安を煽るような騒々しい『物音』が漏れ聞こえてきていた。 「廣島大学名誉教授の岸源五郎(きし げんごろう)博士の事です……」 視界に入った人物を紹介する教授の声が段々と小さく、そして語気が弱くなっていくのが手に取るように分かる。 そこには小柄な白髪の老人が会議用の机に突っ伏したまま、まるで今が丑三つ時であるかのような勢いで高いびきをかいて眠っていたのだ。 しかも、老人が枕にしていたのは観光ガイドブックの類であるばかりか、むにゃむにゃと寝言で「この話はめんこいおなごがいっぱいじゃのぉ〜」などと呟いている始末だ。『仕事』をしに来ているような気配は少なくとも今の老博士の様子からは微塵も感じられない。 「……本当にこの方が護符関係の権威なんですか? それに『めんこい』は廣島ではなく、秋田かどこかの方言だったはずでは?」 やれやれというのと羨ましい気持ちが半々、といった面持ちでわざとドンッ! と音を立ててアタッシュケースを机に置く神楽。 詩織もまた、部下と同様の疑問を込めた視線を教授の方に向けている。 「ははは……実は僕もお会いするのは初めてでして。本当は僕の先輩の方が良く知っているのですが、『あまり関わり合いになりたくない』とか……でも、世界的権威である事は間違いないらしいのですよ。御本人がおっしゃるには世界を救った事もあるとかないとか」 乾いた笑いを見せながらも必死にフォローする教授の言葉、特に前半の方に対して「さもありなん」というように真顔で詩織は首を縦に振った。 「何でもいいから、とりあえず起きていただきたいのですけどね。……構いませんか?」 神楽はアタッシュケースの中身を慎重に並び終えると、周囲の様子が変わった事にも全く気がつかずに眠りつづけている岸博士の方を指差す。 口調こそ丁寧だが、指差す仕草などからこの若い刑事が呆れ返っている事は明らかだ。 詩織は「好きにしろ」というように肩をすくめると、神楽が机の上に並べた品々をじっと見据えた。 まずは鉱石か何かから削りだして作られたと思われる人形が二体。 他の出土品がなければ新品なのではないかと思えるほど、異様なまでに黒光りしているそれらはどちらも掌を二つ重ねた程度の大きさで直立不同のようなポーズを取っており、顔にあたる部分が少し異なる事を除けば造詣にも大差はない。 人形の隣には素人目にも護符を張り合わせて編まれたものという事が分かる、広げると実に等身大を優に超えるサイズの布が丁寧に折りたたまれていた。 長い年月を経ていたためか変色は免れず、護符の文字も半ば消えかかっているものの、虫食いや破損はさほど目立っていない。 詩織には詳しい事は分からないが、その理由がおそらく布の傍に置かれている長い円筒状の筒にあるのだろう、という事はおぼろげながら理解していた。 一昨日、水道工事中にたまたま今宮神社近くのとある石碑の地下の洞穴から、彼女たちが目の当たりにしている奇妙な造形物たちが発見された時、布は円筒の中に丸められた状態で筒の中に収められていたのだから。 そして、これらの『アイテム』を守るようにして、鳥のような形をした異形の者−少なくとも、詩織の目にはそれが妖魔だと映ったのだが−の朽ち果てた遺骸が同じ空洞に埋められていたのであった。 (妖魔対策の手がかりになるといいんだがな……) 詩織はそんな事を考えながら、部下と机に並べられた品々を等分に見比べた。 人形や布にはもちろん変化はない。だが、神楽の方は気持ちよさそうに眠りこけている岸博士の耳元でメガホンのようにした両手をあて、今にも大声で何かを叫ぼうとしていた。 |