グッバイ、マイ・フェア・レディ 第二夜/Primary direction,part2

<12月23日午前12時04分 京都市中京区平安神宮付近>
「いつもと…………違う」
 京都府警と協力して住民の避難の指揮をとっていた神楽悠馬は、少し離れた所で仁王立 ちになっている雄々しい龍の顔を胸に備えた巨大ロボットの姿を一目見るなり、
乾いた声 で低く呟いた。
 その色だけでも悪鬼を威嚇するのに十分な迫力を備えた紅蓮の朱が、今夜は今にも泣き 出しそうな空の色に溶け込むかのような濁った灰色に置き換わっている。
 しかも、そのロボットがこれまで共に戦ってきた両肩に虎と猛牛の意匠が施された武士 型ロボットと鮮やかな青で彩られた西洋騎士型ロボット(この二体は今、立膝を突くよう な格好でいる)を真っ向から見据える位置……
  つまり阿吽の顔をした二体の巨大妖魔の側
に立っている事が、一体何が起きているのかを端的に表わしているように神楽には思えた。
「一体どうして…………さ、教授さん!?」
 彼が落ち着いて考えをまとめようとした矢先、自分と同様に驚愕の表情を浮べてみせた
御国守教授が巨大ロボットたちの対峙している方向へと駆け出していく姿が視界に入る。
 すれ違った際の教授の表情は、それまでの温和な表情をどこかに置き忘れてきてしまった かのようにひどく険しく、その尋常でない雰囲気が一目で感じ取れた。
「ここ、お願いします!!」
 理由を尋ねるより行動を優先した方がいい……直感的にそう感じた神楽は、 傍らにいた 京都府警のスタッフの「了解しました」という返事を確認するのを待たずに、
 
教授の後を 追いかけるようにして自分もまた全速力で走り出す。
 冬の寒気が彼の息を白く染め、不穏な雲が立ち込める夜空に吸い込まれていった。

「……殺せるの、このわたしを?」
 赤き装甲神の前に立つ、漆黒の魔神と一体化した少女の声はひどく沈んでいた。
 美しく艶やかな栗色の髪がよく似合う、可憐なその顔立ちにどんな表情が浮かんでいる のか……
カイザーは彼女の声色を聞くだけでそれが手にとるように分かった。
「どうして分かってくれないの?
あなたが傷つくの嫌だから、こんな戦いを終わらせようとしているだけなのに……。
  わたしたち…分かり合えていたじゃない、お互いの事を」
 頬を伝う涙のためか次第に掠れはじめた少女の声が、まるで彼を責めたてるかのように 赤き装甲神の耳に届く。
まるで、責めたてるかのように。
彼は視線を目の前の魔神から逸らし、ただ何かに堪えるように両手の拳を握り締めてこう
言い返すより他に適切な言葉を持ち合わせていなかった。
「……君は、君はもう私の戦巫女ではない!」
「戦巫女と装甲神っていう関係だけが、わたしたちの間にある全てなの?
 今までずっと、そんなふうにしかわたしの事を見てくれていなかったの!?」
 ……違う!! もし叶うならば、カイザーは強くそう言い返したかった。
少女に追及されるまでもなく自分を誤魔化すためだけの、自分の行為を正当化するためだ けに紡いだ
  その場しのぎの言葉である事など、彼は百も承知であった。
だが、今のカイザーには二つの拳を強く握り締めたまま唇を真一文字に結ぶようにして、
相手が放つ視線の矢に堪えるより他なかった。
二人は燃え盛る火の海に囲まれていた。
少女の意のままに、まるで駄々をこねる赤子のような振る舞いを見せた魔神により、主だ った建物は軒並み倒壊し、
 
そこに住む人々は破壊によって巻き起こった炎に追われ悲鳴を
上げながら逃げ惑う……さながら地獄絵図を広げたような光景がカイザーの視界に飛び込 んできた時、
  彼は覚悟を決めなければならない、と観念した。
ここは、魔神の暴走に見舞われているこの街は、少女とカイザーが共に戦い何度も妖魔の 手から守ってきた
  いわば『思い出の場所』であった。
 そんな場所を自らの手で壊そうとしている彼女の心中が、カイザーには痛いほど分かる。
故に止めなければならなかった。
彼自身の、その手で。
「わたしと来て。一緒に……ずっと一緒にいましょう、ね?」「…………」
 剣先を地面に向けたまま沈黙を守って佇むカイザーの元に、魔神が一歩、
また一歩と恐 ろしいまでに厳かな足音と共に近寄っていく。
 赤き装甲神はそんな相手の姿を正視する事なく、目を瞑るかのように様子を見せている。
「今までのように……わたしを守って、カイザー」
 魔神の、いや魔神と一体化している少女の右手がカイザーの頬に触れようかという距離 まで、二人は近づいていた。
 その時、近くで倒れかかっていた塔が受けた傷の重みに耐えかねて二つに折れ、業火に 包まれながら崩れ落ちた。
「…………許してくれ」
 少女の利き腕がカイザーの肩に伸びた瞬間、迷いを無理に断ち切るかのような一言とも に刀を持つカイザーの右腕が素早く動いた。
 赤き装甲神の繰り出した見事な太刀筋は狙い違わず少女の下腹部を横一線に切り裂いた が、
彼の視線は少女ではなく周囲に蠢く破壊の炎に向けられたままだった。
(何て…………)
 人を斬るというのは何て嫌な感覚なのだ……カイザーはそう感じずにはいられなかった。
何度もそうしてきたはずの剣が今はひどく重たい。
 少女の肉を切り裂き、骨を砕く感覚が愛剣を通して伝わってきた刹那から、彼は激しい 後悔と自己嫌悪感に襲われた。
何故、こうなってしまったのか。何故、彼女を説得できなかったのか。
 これは装甲神の宿命(さだめ)なのだ……たとえ己の戦巫女であっても、たとえ自分が 愛する存在であっても、
人々に害をなす場合は斬らねばならない。
 それが人々を守るべく、この世界に生み出された装甲神の使命であるのならば。
「…………どうして………………?」
 少女の絶え入りそうな疑問の言葉と、刀身を流れ落ちながら自分の手に触れた少女の赤 い血の温度が、
カイザーの眼を現実の世界へと引き戻させた。
 水平に剣を払ったままの姿勢で留まっている自分の胸に、身体より少し遅れて宙を舞う
豊かな髪の毛を最後の輝きにように羽ばたかせながら、少女が身を委ねようとしている。
 少女の髪を二つにまとめていた黄色いリボンもまた、己の居場所を失ってひらひらと空 に佇んでいた。

「そんな……馬鹿な…………!?」
 初めて自分が斬り捨てた相手の顔を直視したカイザーの右手から、剣が乾いた音を立て て彼の足元に転がる。
それは少女の髪を結んでいた二本のリボンが地面に舞い落ちたのと ほぼ同時であった。
「……こんな事が、こんな事があるはずがない!!」
 手元の凶刃を放したにも関わらず、カイザーは自由になったその腕で少女の華奢な身体 を抱きしめてやる事が出来なかった。
 赤き装甲神の右腕はまるで喘ぐかのように彼の意志に反して宙で小刻みに震え、それ以 上動かす事が出来ないでいる。
かろうじて自由になる左腕で少女の身体に触れるカイザー。
 その身体から温もりが次第に薄れていき、彼の右耳のあたりで微かに感じられていた少 女の苦痛に満ちた吐息が消えてしまいそうになる頃……カイザーはようやくもう一方の手 で少女の身体を支えてやる事が出来た。
 彼の右腕にしな垂れかかる少女の髪の色は栗色ではなく、しかもウェーブもかかってい ない、青のストレートであった。
 言うまでもなくカイザーが手にかけた、今まさにその手の中で生き絶えようとしている
少女ははその場面に居合わせるはずのない、彼の『今の』戦巫女であった。
 そして……一体何が起こっているのか分からぬままに、
その命の火が消えようとしてい る少女の身体を抱きかかえながら項垂れるカイザーをあざ笑うかのように、
  『過去』にその 手で殺めた筈の、この場面で冷たい骸になりつつある少女の代わりに自分の手の中で横た
わっているべき少女の声が木霊した。
「……永遠の眠りが互いを分かつまで、わたしは呪う。あなたが『彼女』を眠らせるまで。
あなたが、彼女を眠らせるまで……」

「さよなら、レイナ」
 掌に乗るマリアの弾むように嬉々とした一言を受け、今や麗奈の『赤き龍王』でなく、
マリアの『灰色の龍帝』と化したドラグカイザーの額に赤い光が集積し始める。
「みんな、散って!!」
 その様子を見た麗奈が弾かれたように周囲にいた涼子たちに注意を促した直後、彼女め がけて龍帝の額から一筋の熱線が放たれる。
 間一髪のタイミングで麗奈が涼子に、そして恵梨が沙希に飛びかかり、地面を転がるよ うにしてその場から離れていくのにワンテンポ遅れる形で、熱線が彼女たちのもと居た場 所に大きなクレーターを作る。
「ドラグカイザーが麗奈さんを狙うなんて…………」
 爆風に曝されて顔をしかめながらも、沙希は目の前で起こっている出来事に「信じられ ない」という表情を隠せずにいた。
「グリファリアス、グランクロス、とにかくドラグカイザーを止めちゃって!!」
 一方、恵梨は片膝を付く格好でキッと灰色の龍帝とその掌に立つ少女を等分に睨みなが ら、空から叩き起こされたダメージから何とか立ち直りつつある装甲神に激を飛ばす。
「……心得た!」「O.K、恵梨!!」
 恵梨と同じく必死の声色で応答しながら立ち上がった双頭の獣王と蒼き空王は、ドラグ カイザーの両サイドから接近して押さえ込もうと試みる。
「そう上手くいくかしらね」
 だが、マリアは轟音を立てて近づく二体の装甲神をちらりと視界の端で捉えると、くす くす笑いながらポツリと低い声で呟いた。
 それに呼応して、阿吽の表情を宿した二体の巨大妖魔がグランクロスとグリファリアス
をインターセプトするような格好で割って入ってくる。
「邪魔だ!!」
 グランクロスが正面突破すべく左肩からしかけたタックルを、巨大妖魔は何とか両手を 使って何とか受け止めたものの、明らかに獣王の突進の方が勝っている。
 このまま一気に……とばかりに全身全霊の力を込めて推し進もうとするグランクロスと、
『阿』の表情を持つ黒き巨大妖魔の視線が合う。その瞬間、妖魔の両目に妖しい暗赤色の 光が宿り 、
  そのままグランクロスに勝るとも劣らないほどの筋骨隆々な姿へと変わる。
「ば、馬鹿な……!!」
 パワー戦対応の姿へとその身を変えた巨大妖魔とグランクロスの力比べはほぼ互角……
いや、心なしかグランクロスの方に余裕というものが感じられず、
  その巨体の足元がメリ メリと嫌な音を立てながら地面にめり込んでいく。
 一方、双頭の獣王とは対照的に持ち前の飛行能力を活かしてもう一体の妖魔をかわそう としたグリファリアスだが、
『吽』の表情を持つ妖魔もまた、蒼き空王に対抗すべく蝙蝠の ような翼を背中に生やし、
  湿気を多く含んだ暗雲で満たされつつある大空でグリファリア スの行く手を阻んでいた。
「unbelievable!?  空で僕と互角の勝負をするとは!!」
 驚きの声を上げながらもグリファリアスは相手を追い抜こうとスピードを上げるが、ス ピードタイプの妖魔はそれ以上の速度で必ず空王の前に立ち塞がる。
「戦う相手の特徴に合わして、姿を変えられるのですわ」
 スカートについた埃を丁寧に払いつつ、冷静に分析する涼子。しかも、特徴を真似るば かりか二体の妖魔たちは装甲神の能力を上回る勢いを見せている。
 これではドラグカイザーの動きを止めるどころか、目の前の敵と戦うだけで精一杯だ。
「……もし彼女が、マリアがあの妖魔たちを操っているのだとしたら…………」
 再び自分に向けて放たれた『ドラググレイザー』から何とか逃れ、爆風から涼子をかば いながら麗奈は思考を巡らしていた。
(彼女を倒せば、カイザーも元に戻るかもしれない……)
 マリアという少女とカイザーとの『関係』についてはカイザーから聞かされていた。そ れだけに彼女を『倒す』という考えを思い浮かべた時には、麗奈は若干の躊躇みたいなも のを覚えずにはいられなかった。
 自分の心の中に、微かながら『嫉妬』に似た感情があるのに気がついたからだ。
「……涼子先輩は、恵梨さんたちと一緒にいてください」「麗奈さん、一体何を!」
 だが麗奈は一瞬の気の迷いだと言い聞かせると表情をキッと引き締め、自分をたしなめ るような涼子の声を背に灰色の龍帝の方へと走り出した。
 確かに、マリアの手の中にあるカイザーを止めるにはマリアを倒すしかないのだ……カ
イザー自身を『失う』事なく、止めるためには。
「わたしは……ここよ!!」
 走りながら大声を張り上げ、灰色の龍帝とマリアの注意を引く麗奈。そんな彼女を狙い、
ドラグカイザーの額から熱線が矢継ぎ早に放たれる。
 降り注ぐ熱線の雨を紙一重でかわし、麗奈は間近で立て続けに起きる爆発をもろともせ ず、
炎の渦とともに生じた激しい爆風の中をただひたすら駆け抜けていく。
「……もうっ、見ちゃいられないよ!!」
 あまりに無謀ともいえる麗奈の行動を見かねた恵梨がサポートに割って入ろうと身を乗 り出しかけたが、
涼子は勇み足立った彼女の肩にそっと手を乗せてやんわりと制止した。
「これは、おそらく麗奈さんの戦いですわ」
 異を唱えるような表情で振り向いた恵梨に囁きかけるほどの小さな声でそう告げた涼子 の視線は、攻撃に曝されながらも走り続ける麗奈の方に向けられたままだ。
 その毅然とした涼子の態度の前では、恵梨もまた麗奈の様子を見守るより他なかった。
「あんなに必死な麗奈さん、見たことないです……」
 激しい爆発の照り返しに少し目を細めながら、沙希がポツリと呟く。いつもならば麗奈 の姿を必ず捉えているビデオカメラは電源が入る事なく、彼女の右手に納まっている。
 爆発でわずかの間だが麗奈の姿が消えたりすると涼子たちの背中に冷たいものがさっと 走るのだが、次の瞬間にはただまっすぐ前を向かって走り続ける麗奈を確認する事が出来 て束の間ホッとする。その繰り返しだ。
 そして、そのままの姿勢では角度的に熱線を放ちにくい位置にまで麗奈が近づくと、ド ラグカイザーは攻撃方法を変えてきた。
マリアを載せているのとは反対の鉄拳を地上の麗奈に対して放ったのだ。
(…………今だ!!)
 唸りを上げながら向かってくる『ドラゴニックナックル』を前に、麗奈は突然歩みを止めた。
 夜空の冷たい空気を切り裂く鉄拳がその身に纏わりつかせている風を感じながら、一枚 の護符を手にした彼女は待つ。鉄拳がギリギリまで迫るのを。
 恐怖心がないと言えば嘘になる。タイミングを間違えれば、自分の身体は悪しき心に操 られている己の装甲神が放った必殺の拳の前にあえなく潰されてしまうだろう。
 だが、その恐怖心に打ち勝つだけの集中力を胸に宿した彼女は怯える事なく正面から自 分を狙う鉄拳を見据えていた。
明らかな敵意を帯びた鋭い風が麗奈の身体を揺さぶり、そのツインテールにまとめた長 く艶やかな髪の毛を忙しなく弄び始めたのと同時に、彼女は力一杯宙へと身を躍らせる。
 わずかな時間差で、その足元を鉄拳が作り出したかまいたちのような豪風がかすめてい き、鉄拳は彼女が立っていた地面を激しい勢いで粉々に砕いていく。
 しかし、宙を舞う麗奈はその様子も、砕かれた地面の破片が身体にぶつかってくる事に も気を止める事なく、
手にした護符を高らかに天に掲げた。
「……召還、『宿禰』!!」
 すると、光を発しながら一片の護符は優雅な羽根を持つ狛犬の姿へと変わり、麗奈はそ の背に降り立った。
式神・宿禰は人間より二回りほど大きく、召還者をのせるには充分な
体格は備えている。
 麗奈を乗せた宿禰は、灰色の龍帝が放った鉄拳の軌跡を逆行するかのように、全速力で ドラグカイザーの右手へと突き進む。
「退魔の炎よ…………」
 息も出来ないくらいの風圧に曝され、あまりの苦痛に可憐な相貌を歪めながらも麗奈は
左手で宿禰の首輪を握り締めたまま、右手に赤々と燃え盛る炎を作り出していた。
 その直後、ドラグカイザーの手の中で自分をあざ笑うかのように
涼しげな表情を浮べて いるマリアの顔がはっきりと麗奈の視界に入る。
「悪しき心、宿し者を闇へと導け!!」
 相手のその表情に思わず片眉を吊り上げながら、凛とした声とともに放たれた紅蓮の炎。
 麗奈の放った炎は、狙い違わず豊かな栗色の髪を携えた少女に襲い掛かり、その華奢な 身体をそっくり包み込もうとする。
「……ふふふ、わたしと戦うって訳ね」
 対するマリアは余裕の笑みを浮べたまま、不意に灰色の龍帝の掌から姿を消す。目標を 見失ってしまった炎はただ悪戯に宙を踊り、そのまま夜の空気の中に溶けて消えていく。
 一方、攻撃をかわされた麗奈は内心の焦りを押し隠し、神経を尖らして周囲を見回した。
「だったら、相手をしてあげる!」
 そんな麗奈の耳にいずこからともなくマリアの声が届いたかと思うと、右手の方に空気
を切り裂いて近づいてくる鋭い邪気を感じた。
 とっさに右手で護符を掴むとそれを両刃の木剣に変えて、邪気が迫ってくる方向へと腕 を伸ばして剣を走らせる。
刹那、凄まじい力と力のぶつかり合いによって生じる火花と電撃が夜空を駆ける。
 麗奈の剣に宿る破邪のエネルギーと、宙をしなやかに舞って麗奈へと振り下ろされたマ リアの鎌に込められた怨念のエネルギーとが真正面から衝突したのだ。互いの武器は直接
触れ合ってはおらず、ただ武器の作り出す霊力のフィールドがしのぎを削っている。
「あなたが死ねばカイザーはあなたの元から完全に『自由』になれるの。 ……だから、大人しく死んで頂戴」
「ふざけないで!! ……カイザーは、カイザーは絶対渡さないわ!!」

 ほぼ互角の力で作られていた均衡が、マリアの一言をきっかけに崩れる。
可憐な顔立ちに憤怒の朱色を露にした麗奈が、右腕により強力な霊力を込めて剣が作り出 すフィールドを
  一時的に強化して相手の少女を一気に押し返したのだ。
マリアが少し体勢を崩したのを狙い、麗奈は「覚悟!」と短く叫んで正眼の構えから剣を
一閃して強烈な衝撃波を生み出すが、小悪魔的な笑みを浮べたままの相手は死神が扱うよ うな巨大な鎌を難なく片手で振り回し、それを楯のようにして麗奈の攻撃を防御する。
麗奈の生み出した剣はただの木刀ではなく、不動明王が悪鬼を懲罰する際に用いる霊剣で あり、九字では『闘』の字にあたる力を秘めている。
また、剣そのもので相手に直接攻撃するために用いているのではなく、剣はあくまで彼女 の霊力で効率よく解き放つための媒体にすぎない。それはマリアの持つ鎌についても同様 であり、故に刃を直に交える必要性がないのである。
 二人の少女のほっそりとした腕がしなやかに伸びる度に、春雷のような激しい光が今に も泣き出しそうな夜空に煌き、
ガラスが粉々に砕け散るかの如く轟音が響き渡る。
「これは……一体!?」
 そんな中を、はあはあ……と白い息を吐き出しながら涼子たちの元へと駆け寄ってきた
御国守教授が不気味な闇が治めし空で渾身の力を振るって戦う妹・麗奈の姿と、その近く で妹に射抜くような視線を向けている灰色の装甲神を半信半疑の面持ちで視界に捉える。
 教授の呟きに皆が彼の方を向きかけた時、麗奈とマリアの放った一撃が再び空中で合間 見え、稲光に似た閃光が駆け抜ける。
 二人の力はほぼ伯仲しているように思えたが、今のマリアにはドラグカイザーという『パ ートナー』がついていた。
 麗奈が剣を振りかざして霊力の波動を生み出した直後を狙い、
戻ってきたばかりの左腕 を再び彼女の方へと撃ち出す灰色の龍帝。
 敏感にその攻撃を察知した宿禰が警告とも取れる鳴き声を上げながら両方の翼をはため かせて、
迫り来る鉄拳から主と己の身を守ろうと試みる。
「くっ……!!」
 急旋回による急激な重力に見舞われ、麗奈は思わず苦痛に顔をしかめる。
 スピードで勝る式神のこの動きは、羽根の先をかすめていく鉄拳をかろうじてやり過す 事に成功するも、
宿禰にもその背中に乗る麗奈にもわずかながら隙が生じた。
 無論、そのような隙を見逃すマリアではない。
 鎌でくるりと円を描くと、くすくすという無邪気にして残酷な笑みを浮べたまま、長き 柄を持つ刃を一閃する。
 マリアの鎌から生まれたかまいたちのように鋭い閃光は、獲物を狙う狼の如く勢いで夜 空を疾走し、
崩れたバランスを立て直そうとしている麗奈と宿禰を襲う。
 対抗すべく攻撃を放ち返すだけの余裕は今の麗奈にはなく、
剣の腹を体幹と平行に合わ せて霊力による光の防御壁を作るのが精一杯だ。
「……見ての通りですわ」
 マリアの放った獰猛な牙が麗奈の身を紙一重で守っている防御壁を食い破ろうと、
破壊 的な音と光を撒き散らしながら壁への突進を繰り返す中、
  涼子のその一言は目の前で生じ ている事態を把握し呆然としかけている教授にとってまるで最後通帳のように聞こえた。
「麗奈っ…………!!」
 戦いが頭上で繰り広げられているため、文字通り手も足も出せずにいる教授の目の前で、
鋭い閃光がドーム上の光の壁に細かな裂け目を走らせていく。
 一体何秒ほどその力の均衡が続いていたのかは定かではないが、その戦いを見ているも のにとっても、また当事者たちにとっても実際の時間よりも長く感じたことだろう。
 そして、ついにパリン! という徹底的なまでに乾いた音を上げながら光の壁は粉々に砕 け散った。同時に、鋭い牙のような閃光の大部分も対消滅する格好で消えていく。
 だが、生き残ったエネルギーの一部が烈風となって麗奈の剣を真ん中からへし折りなが らその華奢な身体を宿禰の背から宙へと突き飛ばし、その式神もまた刃の如き鋭き風に右 の翼を手酷く切り裂かれたかと思うと、苦痛に満ちた泣き声を残しながらその姿を一枚の 紙片へと変える。
「きゃっ!」という悲鳴を上げて夜空に投げ出された麗奈の右手から折れた剣の柄が離れ、
それもまた宿禰と同じく護符に戻ってヒラヒラと寒風の中を舞う。違いは宿禰の護符が破 れているだけなのに対し、剣の護符は真っ二つに裂けている事だ。
 一方、それらの紙片とは比べ物にならない速度で麗奈は地上へと落下していった。
風圧に負けて豊かな髪をツインテールに結んでいた二つのリボンがハラリとほどけ、
やは り宙を棚引きながら彼女の元を離れていく。
「……カイザー、あなたが止めを刺して」
 冷酷な笑みを浮べたままのマリアは『パートナー』の右の掌に戻ると、
どこか甘えたよ うな嬉々とした声で灰色の龍帝に語りかけた。
 まるで自分の髪を衣のように纏いながら落ちていく麗奈の姿を凝視していたドラグカイ ザーは、
マリアの声に応じて左の拳を麗奈の方に向けると、その拳を空へと解き放った。
「グランクロス!!」「グリファリアス!!」
 沙希と恵梨は悲鳴に近い声で各々の装甲神の名を呼ぶが、双頭の獣王も蒼き空王も己と
同じ特性を宿した相手の前に行く手を塞がれたままで、出し抜く隙さえ見抜けないでいる。
 これでは麗奈が地上へと叩き付けられる直前にキャッチするどころか、その前に彼女に 向けて放たれた『ドラグナックル』を阻止する事すら難しい。
「……麗奈さんっ!!」
 三度、麗奈を襲うドラグカイザーの鉄拳が今度こそその身体を射抜こうとする瞬間、涼 子は思わず両手で目を覆った。
 麗奈もまた、自分に向かってくる凄まじい風圧と地上に落ちていく、例えようのない脱 力感に身を任せながら「避けられない……」と観念したように両目を閉じる。
 唸りを上げて自分を押しつぶそうと飛ぶドラグカイザーの左手が、彼女の髪に触れた。
 その瞬間、恵梨も沙希も耐え切れずに涼子と同じように目を空から背ける。
 結局、空で起こった出来事を目撃したのは教授、そしてマリアだけだった。
 そして、何かが何かの上に落ちた時に生じる鈍く小さな音がした後には静寂が生まれた。
「カイザー、君は…………『そこ』にいるのか」「えっ……?」
 全てを見届けていた教授の掠れた言葉を受け、涼子たちが恐る恐る目を開くと、そこに は頭に思い描いていたのとは全く違う光景が広がっていた。
「…………そうなんだ。あなたはまだ完全に彼女の手の中にあるわけじゃ、ないんだね?」
 自分を上空でキャッチし、そのまま地上へと丁寧に降ろしてくれたドラグカイザーの掌 の中で麗奈は独り言のように呟くと、泣き笑いのような少し潤んだ表情を見せながら、戻 っていく拳の先にある装甲神の方を見上げた。
 そう……ドラグカイザーの放った鉄拳は驚いた事に、マリアの意図に反して結果として
麗奈の窮地を救ったのである。
 この事態に一番動揺しているのは涼子たちでも、また命を救われた麗奈自身でもなく、
灰色の龍帝の掌にいるマリアである事は言うまでもない。
「……あの子の事がそんなに大事なの、カイザー!?」
 冷徹なまでに落ち着き払っていたその表情にはじめて激しい感情が露になり、マリアは
心なしか哀れむような眼で自分を見つめる『パートナー』の顔を睨むかのようにして見た。
「さっすが装甲神のリーダー、そうでなくっちゃ! 麗奈ちゃん、今だよ!!」
「麗奈さん、派手に行くですぅー!!」
 動揺している相手の姿を見て、恵梨と沙希の二人が拳を突きあげて麗奈に声援を送る。
「臨・兵・闘・者……」
 二人の声に答えて立ち上がった麗奈の両方の手には護符が握られている。
彼女が九字を唱える声に合わせて動く二枚の護符はそれぞれ次第に赤と青の光で満たされ ていき、
 麗奈の前に太極図のような紋章が表れる。
「……皆・陳・烈・在・前…………」
 九字を唱え終えた時、紋章の周りには九字の力を秘めた『文字』が取り囲んでいる。
「何時見ても、凄いもんだなぁ…………」「そうですね」
 教授を追いかけてきた神楽が何時の間にか皆の傍に現れ、どこか呑気な調子で感嘆の声 を漏らす。
ちなみに相槌をうったのは教授だ。
「いいわ……わたしの手で決着をつけてあげる」
 怒りに似た激しい感情を冷徹な笑みで無理に押し隠し、マリアは再びドラグカイザーの
元を離れると呪詛と共に手にした鎌に霊力を込め、麗奈に対抗するかのように六茫星の紋 章を己の前に描いた。
 描いた紋章に集積しつつある霊力の波動によって、それぞれの背中に伸びる美しい髪の
毛がうっすらと光を帯ながら、嵐の前に曝された木の葉のようにさわさわと揺れる。
双方が全身全霊の力を込めた一撃を繰り出そうとしている証拠だ。
「御国守流符術奥義、『滅魔陰陽撃』!」「リーサルスペル、『ヘキサヴォルテック』!」
 皆が固唾を飲んで見守る中、二人の少女が力の解放を促す言葉を叫ぶ。
 それぞれの紋章は光の渦となって術者の手元から離れ、その光の渦たちは互いに引き寄 せあうようにして夜空の一点目指す。麗奈の放った光は赤と青の混じった色を、一方のマ
リアの光は月の光のように淡い銀白色で塗り込められている。
 まさに流星のようなスピードで宙を疾走するその二つの光が、ついに出会った。
 一瞬、照明弾が弾けたかの如く光の拡散が特有の波動音と共に周囲に広がり、眩さのあ まり教授たちは手で顔を覆う。
だが、麗奈とマリアはその閃光に屈する事なく、自分の光で相手の光を打ち消そうと渾身 の力を光の渦に託していた。
あまり強力な二つの霊力がぶつかり合っているために、麗奈ならば彼女の膝がガクガクと
笑うように震え、マリアは何度か空中で自分の位置を危うく崩しそうになっている。
「…………ま、負ける訳には……絶対に、負ける訳にはいかないんだからっ!!」
 わずかな瞬間生じる気の緩みのためにそのまま押し返され、吹き飛ばされそうになる自 分自身を叱咤するかのように麗奈は叫び、自分の光を前へと強く押し出そうとしている両 手により一層の力を込める。
見えない壁によって前進を阻まれているばかりか、何かで両手足をこれでもかというほど に引っ張られているような、
  まるで身体中がバラバラになりそうな感覚に襲われながらも
彼女はただひたすら二本の腕を前へ推し進める事だけを考えた。
 少しずつであるが、両手に感じる抵抗が小さくなり、両足を前に踏み出せそうになる。
 手応えのようなものを確かに覚えた麗奈は、顔を歪めながらも気迫のこもった掛け声と 共にその華奢な身体から生み出せる全ての力を自分の手前へとぶつけた。
折りたたみナイフの刃をしまう時のように急に抵抗がなくなったかと思うと、それまで全 身にかかっていた力という力が全て取り払われたような感触を覚え、彼女は思わず前につ
んのめりそうになる。
同時に、麗奈の光の渦はマリアのそれを完膚なきまでに粉々に打ち砕き、強烈な衝撃波と なって彼女の元へ押し寄せていた。
はうっ!……という短い悲鳴を漏らし、後に仰け反るような形で吹き飛ばされたマリアの
手から鎌が離れ、胸元からは何か小さなものが弾け飛ぶ。
そして、彼女自身は空中に留まっている事すら出来ず、初めて地に足をつけると、そのま ま顔をしかめて両膝を付いた。
「よーし麗奈ちゃん、このまま一気だっ!」「一気ですぅ!!」
 麗奈に代わって右手でガッツポーズを作る沙希と恵梨。
 同じように「よしっ!」という仕草を両腕でみせていた神楽だが、恵梨の足元にキラリ
と光る小さなペンダントのようなものがあるのを目にして「ん?」という顔になった。
 確か、さっきの衝撃で相手の少女の胸元から吹き飛んできたものだったよな……と思い ながら目を凝らした途端、
神楽の表情がさっと青ざめ、険しくなる。
「『家具屋』さん、どうかしたの?」
 神楽の異変に気が付いた恵梨が彼の顔を覗き込むようにして話し掛けたが、その視界に は彼女は全く入っておらず、ただ「何て事だ……」とうわ言のように呟くと、険しい表情
のままペンダントを拾い上げて麗奈の元へと走り寄っていく。
「……カイザーを返してくれない?」
 当の麗奈は新しい護符を手に、一歩また一歩とマリアの方に歩み寄っていた。
「カイザーは元々わたしの装甲神なの。それを忘れてもらっては困るわ」
 よろよろと立ち上がったマリアの表情には、少しばかり苦痛の色が滲み出ているものの、
今までのような不敵な笑みは戻っていた。
「やっぱり、あなたとは話し合っても無駄なようね」
 麗奈は軽く目を閉じ、大きく溜め息をついてから意を決したように両目を強く見開くと、 手にした護符をマリアの方へと向け、九字を切り始めた。
「…現在(いま)に彷徨いでた者は元(かこ)の世界に戻るのよ。御国守流符術……」
 護符が麗奈の前で宙に浮きながら静止し、小さな蒼い稲光を発しつつあった。
 彼女の得意技の一つ、『雷神招来』が今まさにこの戦いに終止符を打つべく、
闇から現れ た少女に向けて解き放たれようとしている。
 鎌を失ったマリアはそのまま麗奈の攻撃を受け止める構えだが、その涼しげな顔には焦 りの色が隠し切れていない。
 この瞬間、麗奈たちの誰もがこの『悪夢』はここで終わるのだと思ったことだろう。
 しかし、彼女が解放の文句を高らかに唱えようとした矢先……「待ってくれ!」という
切羽詰った言葉を発しながら、駆け寄ってきた神楽が護符に真っ直ぐ向けられた麗奈の両 手を制止するように押さえ込んだ。
「神楽さん、一体どうして!?」
「……彼女は、あの少女は、『先輩』なのかもしれないんだ」
 彼はそう言いうと、手の中にある小さな銀の十字架のついたペンダントを、あまりに唐 突な神楽の言葉に驚きを通り越して一体何を言っているのか半ば理解できないでいるよう な麗奈に見せる。
 どこか躊躇いがちな声から察するに、恐らく彼女にそう告げた神楽本人とて確信がある わけではないのだろう。
ただ一つ。自分の手の中にあるペンダントが、詩織が『消えて』しまう直前、彼がお守り
として渡したものに間違いないという事以外は。
「……どういう…………ことなの?」
 一瞬で頭が真っ白になってしまった麗奈は答えを求めてまずは神楽を、そしてマリアを 見た。
彼女の意思の力が届かなくなった護符は、糸の切れた風船のようにただの紙切れと なって足元に落ちる。
 神楽は俯いたまま首をただ横に振るだけだったが、マリアの方は「そうだったの」とで も言うような、
さも面白そうな笑みをどこか妖艶な薄紫の唇に浮べている。
 その笑みを見るだけで、麗奈は全てを悟った。
 刹那、怒りと絶望が入り混じった感情が全身を凄い勢いで駆け巡り、呼吸が荒く、そし て早くなる。
「さっきあなたが自分で言ったじゃない? わたしは彷徨い出た亡霊だって。
 だから、わたしはこの世界の人の身体を借りたの。わたしと同じように、この愚かな戦 いを終わらせたがっている人の身体をね」
「…………詩織さんに憑依して、実体化したっていうの!?」
「ふふふ、まさかあなたのお知りあいだとは思わなかったけどね、あの女の人が」
 右手の拳が張り裂けそうなくらい強く握り締めた麗奈に対して、マリアは完全に余裕を 取り戻して、
くすくすと冷徹な笑みを人形のように整った相貌に浮べている。
「貴様っ! 先輩から離れろっ!!」
 麗奈と同じく、激しい怒りの感情にとらわれた神楽がホルスターからベレッタを抜き、
すぐさまマリアに照準を合わせて引き金に手をかける。
 が、今度は麗奈が神楽を制止する番だった。
「駄目。下手に手を出せば、詩織さんも傷ついちゃう……!」
 差し出された麗奈の右腕の後ろで、神楽は歯軋りをしながらやむなく銃を構えた両腕を 下ろすが、
その眼は目の前の少女を剥き出しの敵意で睨んだままだ。
「そうそう、そのままお利巧さんにしているのよ」
 楽しそうな笑みを浮べたままマリアは左腕を伸ばし、その掌を麗奈たちに向ける。
 すると、病的なまでに白い掌から生み出された衝撃波が、口元を歪めながら手を拱いて いるしかない麗奈と神楽を襲い、そのまま二人の身体を後に吹き飛ばす。
 麗奈が建物の壁に手酷く叩き付けられた一方、神楽は地面を引きずられるようにして涼 子たちの近くまで弾き飛ばされた。
「神楽さん、大丈夫ですか!?」
 砂煙が収まるのを待たずに、摩擦で服が擦り切れ、露出した背中のあちこち擦り傷が出 来た神楽を助け起こす沙希と涼子。
二人の少女の助けを借りながら、彼は「くそっ……」
と短く悪態をついたが、その反動かすぐに苦痛に顔を歪めると、不意に真っ赤な唾を地面 に吐き出した。
 麗奈の方には教授と恵梨が駆け寄ろうとするが、唇から糸のように赤い血を流しながら も何とか立ち上がった麗奈は
「来ちゃ駄目!!」と必死の形相で叫び、二人を拒んだ。
 あまり悲痛なその表情に、教授と恵梨が思わずこれ以上の歩みを躊躇った瞬間、上空に 再び舞い上がったマリアが立て続けに麗奈に向けて衝撃波を放つ光景が飛び込んできた。
 ドォーン! という衝撃波がどこかに命中する音。麗奈が背にしていた建物の壁が崩れ る音。
そして、その合間に漏れる、ただ攻撃に曝されるより他に術のない麗奈から生み出 される苦痛に満ちた小さな悲鳴……
  全ての音と、衝撃波によって生じた激しい砂煙が重苦
しい沈黙を残して消えていってしまった後に、乾ききった鈍い音を立ててうつ伏せに倒れ 伏す少女の姿があった。
「ううっ…………」
 傷ついた己の身体を奮い立たせ、何とか立ち上がろうとする麗奈は、右手で地面を掴む かのような動きを見せる。
 衣服が破れ、白い肌を寒風に曝している彼女の姿はそれだけで充分痛々しいものだった が、
リボンが解けているために背中まで伸びる長い髪がその身体を覆うかのように小刻み に揺れる様は、
  赤い血を孕む傷口よりもずっと的確に麗奈を襲う痛みを代弁しているよう に思えた。
「……これで、終わりにしましょうか?」
 相手がボロボロな状態になったのを見たマリアはとても満足そうな声で麗奈に語りかけ ると、両手を胸の前で重ね合わせ、
龍帝ダロスを召還した時と同じ灰色の炎を作った。
「今度こそ、わたしのいう事をちゃんと聞いてよね……カイザー?」
 そう言ったマリアが両目を閉じると、灰色の炎は彼女の手元から離れ、そのまま灰色の 光となってドラグカイザーの額を飾る宝石に吸い込まれていく。
 すると、それまでほぼ沈黙を守っていたのに等しい龍帝の胸の意匠が天地を揺るがすか の如く咆哮を上げ、
その両目に禍々しいまでに赤い光は宿った。
「あなたがあの子を殺せば、わたしはあなたを『許す』事ができる……そうしたら、また
一緒にいましょう。ずっと、一緒に…………」
 どこか憂いのようなものが混じったマリアの声に「ああ」と短く答えたドラグカイザー は轟音を響かせて、
おぼつかない足でよろめきながらも立ち上がった麗奈の方へとゆっく りと近づいていく。
 その巨大な右手は、明らかに彼女の身体を求めていた。今の麗奈に、
そのカイザーの手 を逃れるだけの機敏な動きは取れそうにない。
 死へのカウントダウンのような地響きの中、麗奈の目の前に装甲神の巨体が迫る。
「カイザー、お願い目を覚まして!!」
 一歩、崩れた壁の方に後ずさりながらも、彼女は必死な思い出で呼びかけたが、灰色の 龍帝は目に赤い光を宿したまま、
中腰の格好になると麗奈の方へとその手を伸ばす。
「このままでは、麗奈さんがひねりつぶされてしまいますわ!!」
 見ていられないという表情で叫ぶ涼子。沙希と恵梨は自分たちの装甲神の姿をすがるよ うな面持ちで探すが、
視界に入ってくるのは双頭の獣王が万力のような怪力を誇る妖魔に
首を締め上げられ、蒼き空王が相手の一撃をまともに受けて空から叩き落とされているよ うな場面ばかりだ。
「やめろぉー!!」「教授さん、危ないですぅ!」「行っちゃ駄目だよ!!」
 無力だと分かっていながらも、自分を抑えきれずに妹の元へ駆け寄ろうとする教授を、
沙希と恵梨が左右から引き止める。
 その教授たちの目の前で、麗奈の身体にドラグカイザーの指が触れたかと思うと、その 手が彼女の身体を躊躇う事なしに包み込んだ。
「はうっ…………!」
 ギシギシという不快な音を立てながら、灰色の龍帝は己の戦巫女の身体を容赦なく捻り 潰そうとしている。
 そんな装甲神の手の中で苦悶の声を漏らしながらも、麗奈は喘ぐような表情のまま何度 もドラグカイザーに呼びかけ続けていた。
「やめてカイザー……思い出して、わたしのことを…………!」「………………」
 だが、ドラグカイザーは彼女の声に答えようとせず、無言のまま、ただ彼女の華奢な身 体を掌で押し潰す事だけに注意を向けているようだった。
「…………カ、カイザーぁっっっ!!」
 全身から搾り出すような声で彼女は己の装甲神の名を呼んだが、それでも彼女の声はカ イザーには届いた気配はない。自分を締め付ける力は弱まるどころか強くなる一方だ。
(カイザー………………)
 次第に視界がぼやけ、意識が薄れていく。教授たちの自分を呼ぶ声も、勝ち誇ったよう にくすくす笑うマリアの声も、そして自分の身体が軋む音も、どこか遠い出来事のように
思われ、手足の感覚もだんだんとなくなっていく。
 ギリギリと締め付けられている力すら、感じなくなった。
(このまま死んでいくのかな、わたし)
などとぼんやりと考えていたその時……彼女の耳に今一番聞きたい声が届いた。
(麗奈……聞こえるか、麗奈……)
 これが幻聴っていうのかな……何故だか可笑しくなった麗奈は不意に笑みを漏らして、
その暖かな声をもう一度聞きたいと強く願う。
 自分の装甲神が、自分をちゃんと呼んでくれる声が。
(カイザー……もう一度、あなたの声が聞きたいな…………)
(しっかりしろ、麗奈! 良く聞いてくれ!!)
「……えっ!?」
 今度は驚きを声に出す麗奈。幻聴などではなかった。彼女にはカイザーの声がはっきり と聞こえたのだ。
そればかりか、ハッと両目を開いた瞬間に、自分が黄泉の国に近づいているためと思い込んでいた感覚が現実のものである事に気付く。
 ドラグカイザーが自分の左手で自分の右手を掴み、麗奈の身体を解放していたのだ。
(カイザー、あなたなの!?)
 驚きと喜びが混じった顔で、ドラグカイザーの顔を見上げる麗奈。
(時間がない……今の私がマリアの呪縛から逃れる事が出来るのはほんのわずかだ)
 カイザーがかなり無理をしているというのは、その話し方だけで充分に分かった。肩で息をしているかのような、
苦しげな声が麗奈の脳裏に直接伝わってくる。
(今の内に……『最優先の指示』(プライマリー・ディレクション)を唱えてくれ!!)
(そ、そんな事……そんなことできる訳ないでしょ!!
あなた自分で言ってたじゃない、この指示をわたしが出せばあなたは……!)
『最優先の指示』という言葉を聞いた途端、麗奈の表情が曇った。いや、曇ったのを通り 越して今にも泣き出しそうな顔になる。
二人の頭上に広がっている、夜空のように。
(だが、詩織を楯に取られてマリアを倒す事が出来ない今、これ以外に方法がない。
……このままでは、私は君を殺してしまう!!)
「どうしたのカイザー!? 早く……早くその子を殺しちゃって!!」
 またもや自分の意に背こうとしているカイザーに業を煮やしたマリアは、憤怒の表情で
灰色の炎によるドラグカイザーへの『刺激』を繰り返した。
(は、早く……早く『最優先の指示』を唱えてくれ、麗奈!!)
ドラグカイザーの胸を飾る龍が再びけたたましく吼え、右手の五本の指が麗奈の身体を締 め上げようとぎこちなく動き始める。すぐに掴む事が出来ないでいるのは、彼の左手が決
死の抵抗を見せているからだ。
(出来ない……そんな事、出来ないわよ……!!)
 涙声になりながら、心を通して叫ぶ麗奈。
 だが、迷っている時間がない事は彼女が文字通りその肌で感じている。
(私の……私の最後の願いを、叶えてくれ!!)
(………………)
(麗奈!!)
 ドラグカイザーの右手が左手の制止を振り切り、その勢いを借りて一気に彼女の身体を押し潰そうとした時、
彼女は両目を閉じて天を仰いだ。
 閉じられた瞼から流れ落ちる涙をそのままにして。
「親愛なる赤き龍王よ……汝の役目は終わった…………」
 それでもまだ迷いがあるのか、最初の文句を謳い上げる彼女の声は囁きのように小さく、
おそらく彼女自身の耳にしか届いていなかったかもしれない。
 しかし、最後の一言は、世の終わりを告げるかのようなその一言は、悲痛なまでに大き くその場に木霊する事になった。
「汝の戦巫女として命ず! 永遠の午睡(ねむり)につくが良い!!」
 その華奢な胸が張り裂けんばかりの声は、教授たちを、残る装甲神たちを、そしてマリ アをも一斉に沈黙させ、
ただただ事の成り行きを見守らせるだけの力を内在していた。
 天を仰いだままの麗奈の身体に一瞬触れたかと思うと、彼女の『最優先事項』を聞いた
灰色の龍帝は何かに怯えるように後に下がって麗奈に背を向け、頭を両手で抱えて悶え苦 しみ始めた。
 その苦悶する声が夜空に響くと、冬の空に屯していた雨雲は地上の異変に刺激されたの
かゴロゴロと低い唸り声を上げ始め、最初の稲光が空に走った時……ドラグカイザーは空 の光に負けぬ程の光に包まれ、
  その姿は龍帝ダロスと赤き装甲神へと瞬時に分離した。
「やった……合体が解除されたって事は…………!?」
 沈黙を破り、恵梨が思わず声を上げた。
 彼女の期待した通り、龍帝ダロスはそのまま灰色の龍の杖に戻ってマリアの手の中に収 まり、
麗奈の方に向き直ったカイザーの瞳にはいつもの穏やかな色が宿っている。
 赤き装甲神はそのまま己の戦巫女の方に歩み寄ると、その前に片膝を付いて跪くような 格好となり、
その頬に触れようと少女の方に手を伸ばす。
 カイザーの気配に気がついた麗奈もまた、傷ついた身体を引きずるようにして相手の方 に近寄ろうとした。
 そこで、二度目の稲妻が空に煌いた。
 閃光の照り返しが装甲神の身体を一瞬染め上げたのを合図にするかのように、
カイザー の指先が麗奈の身体に触れる事なく、止まる。
 そして、その指先から起きた変化が瞬く間に全身へと広がっていった。
麗奈の方に伸びる腕も、麗奈の前で地に付けられている足も、何かを麗奈に告げるために 開きかけたその口も。
 まるでドミノを倒したかのような勢いで、赤き装甲神の身体という身体がくすんだ赤褐 色の石に置き換わっていく……
一度倒れたら元通り復元するのが難しい、ドミノを倒した ような勢いで。
  カイザーは十字架に良く似た、シンメトリカルで美しいモニュメントの前で跪き、祈り を捧げるような格好で両目を閉じていた。
 そこは教会の礼拝堂のように厳かな空間で、クリスタルで作られたモニュメントを奉る
祭壇と、高い天井の他には特に目立つものはなく、カイザー以外には人の気配すらない。
 ここは、装甲神が『内なる神』と対話をする空間だった。
「私の犯した罪は何時か消えるのか? 何時か償う時が来るのか?」
(罪とは、何時かは償わなければならないものだ。そう決められている)
「私がした事は正しかったのだろうか?」
(それが装甲神の使命だというのであれば)
「では、装甲神の使命とは何だ? 人に仇なすものから人々を守るのが使命か?」
(何であれ、人に仇なすものを倒す……それが使命)
「人に仇なすものが愛すべき人であったら? あるいは己自身であればどうする?
もう一度聞こう。私のした事は正しかったのか?」
(それがお前の罪だ)
「私の犯した罪は何時かは消えるのか?」
(永遠の午睡(ねむり)が互いを分かつまで)
「永遠の『午睡』とは何だ? 永遠の『眠り』とは異なるものなのか?」
(それがお前の罪への報いだ)
「では、私の罪は何時償わなければならないのか?」
(それは今で、そしてこれからだ)
 『内なる神』との禅問答は、そこで強引に終止符を打たれた。
 周囲の世界が急に変化したのを察したカイザーが両目を開くと、その視界は全て純粋な までの白色で覆われており、
彼はそこに立っている訳でもなければ浮かんでいる訳でもな いという、不可思議な感覚にとらわれていた。
 だが、自分がその白の空間の中に溶け込みつつあるのだという事を理解するのに、さほ どの時間はかからなかった。
(あれは夢……か…………)
 そう、あれは夢なのだ……カイザーはそう納得した。『内なる神』との対話は、マリアを この手で殺めた時の記憶だ。
 今の自分は、今の戦巫女である麗奈の手によって『最優先の指示』を受けた身……いわば、
『死』への旅路の入り口に言っても過言ではない状態だ。
 過去の事を思い出しても不思議ではないのかもしれない。
(これで、私の犯した罪は償えるのだろうか?)
 白の世界と一体化しようとする中で、カイザーは考え続けた。
(過去とは逆に、己の身を戦巫女に封印してもらう事で。過去と同じ過ちを繰り返す前に)
(では、過去と同じ過ちとは何か? 良く考えてみよ)
 その時、何故か不意に『内なる神』の声が聞こえてきたが、その問いかけに答える事は
今のカイザーには出来なかった。

 三度目の稲妻が鳴り響いた時……赤き装甲神・カイザーは完全に石像と化していた。
 彼が龍王窟で眠っていた時と同じ、石像の姿に。
 装甲神を甦らせた戦巫女・御国守麗奈がその前にいるのも同じだった。ただ異なるのは、
この石像が彼女の呼びかけに応じる事はないという点だ。
 そう……これだけは『二度目』があるわけではないのである。
「カイザー………………」
 麗奈はうわ言のようにその名を一度だけ呟くと、力尽きたようにその場に両膝をつく。
 自分に触れようとした装甲神の指に、あと少しで手が届く距離まで近づいていたものの、
ついにその指にふれる事は出来なかった。
 その頬を伝わって地面に落ちた涙が彼女の足元を濡らした時、空からの雫もまた、大地 を濡らし始めていた。
 石像と化した赤き装甲神と同様に、誰もが身じろぎ一つせず、言葉すら発しないこの空 間の中で動いているのは、堰を切ったように降り始めた雨だけだった。
 冬の夜空の寒気をさらに鋭敏に感じさせる、心まで染み込むような冷たい雨が分け隔てなくここに入る全てのものの身体を濡らす。
 真っ青になり、大事なデジタルカメラを手から落としてしまった沙希の身体も。
 眼を大きく見開いて、目の前で起きた出来事を何度も確かめようとしている恵梨にも。
 両手で口を覆って、恵梨とは対照的に眼を伏せた涼子にも。
 荒い呼吸ながらも辛うじて立ち上がった神楽と、その手助けをした教授にも。
 苦闘を強いられていたグランクロスとグリファリアスも、今は相手の妖魔が動きを止め たため、
石像の姿に『戻った』赤き装甲神をその視界に捉えながら、項垂れたような格好
で雨に身を曝している。
 そして、変わり果てたカイザーの姿を放心状態のまま見つめ続けている麗奈の傷ついた
身体をも、冷たい雨は平等に濡らしていく。
 残酷なまでに、平等に。
「うそ……でしょ…………」
 ただ一人、この冷たい静寂を包む雨音に耐えることが出来なかったのはマリアだった。
ひどく青ざめた表情のまま両手で顔を覆い、身悶えするように激しく絶叫した後、彼女は
何かに怯えている子供のように身体を丸めて小刻みに震わせ、「これは嘘よ……これは嘘 よ……」と何度も何度も呟きながら、
  夜の闇へとその身を溶け込ませていった。
 それに呼応して、二体の装甲神を苦しめていた巨大妖魔たちもまた、陽炎の如く消える。
 あとには物言わぬ石像と化した赤き装甲神とその姿をまるで魂が抜けたような表情で見 つめる麗奈、
そして茫然としながらも麗奈の元に近寄っていく教授たちが残された。
 甘んじて雨を浴びながら、皆があまりに突然な出来事に麗奈への適切な言葉と表情を見 つけられない中で、
頬を紅潮させた沙希がただ一人、彼女の側に歩み寄って肩を激しく揺 さぶって自分の方に振り向かそうとした。
「どうして……どうしてカイザーを石に変えちゃったんですか!?」
「……だって、だって……そうするより他に、方法がなかったから…………」
 沙希の意図に反してまっすぐ彼女の顔を見る事なく、ただ俯いて答える麗奈。
そんな彼女の様子に激昂したのか、沙希は思わずその頬を平手で払っていた。
「方法がなかったからって石にしちゃう事ないじゃないでしょ!?
 カイザーは、カイザーは死んじゃったんですよ!
 そんな…そんな投げやりな答えで納得できると思っているんですか!!」
「…………もうやめなよ、沙希ちゃん」
責めるような激しい口調で詰問し続ける沙希をたしなめたのは、恵梨だった。
恵梨が麗奈の胸元を掴み上げかけていた手にそっと触れて離れるように促すと、沙希はそ のまま彼女の胸の中で顔を埋めた。
「こんなのって……こんなのってあんまりじゃないですか!?」
 恵梨の胸の中でしゃくりあげる沙希。

自らの手で己の装甲神を葬った形になった麗奈が一番傷ついている事など、彼女にも良く 分かっていた。
だからこそ、沙希には余計に歯がゆかったのだ。
麗奈がそのやり場のない感情を顕にしない事が。
「姫………………」
 グリファリアスと一緒に肩を並べていたグランクロスはそんな沙希の様子を気遣いなが らも、
ぬかるみになりつつある地面に座り込んだまま雨に打たれている麗奈の、まるで生 気が感じられない、俯いた横顔を見ると罪悪感に似た思いを抱かずにはおられなかった。
 それは恐らく、傍らにいる蒼き空王とて同じであっただろう。
「一度、雨の凌げる場所に行こう、麗奈」
 妹の側に近寄ると、教授は囁くような低い声で麗奈を促した。
 夜中の雨足は弱まるどころか強くなる一方で、この場に佇むものたちを容赦なく打ち付 けていた。
たとえ、彼女たちが悲しみに打ちひしがれていた存在であっても、何の手心も 加えようとはせずに。
 しかも、麗奈と神楽は手酷い傷を負っている。
 このままの状態で、ここにずっといる訳には行かなかった。
麗奈を赤き装甲神の『遺体』から引き離すという残酷な役目を、誰かが果さなければなら なかったのだ。
「このままだと、風邪を引いてしまいますわ。傷にもよくありませんし……」
 教授の意図に気がついた涼子が、麗奈の隣にしゃがみ込むとそっとその両肩に触れる。
 だが、麗奈はそんな涼子の両手を拒絶した。
 決して激しく首を振って抗ったり、乱暴に手を払いのけたりした訳ではない。それだけ の強固な意志を示せるだけの気力さえも、
今の彼女には残っていなかったのだろう。
麗奈は、自分の肩に触れた涼子の手に対して何の反応も返さなかったのだ。ひょっとした ら、
  涼子の手が置かれている事すら気付いていないのかもしれない。
 その代わりに、彼女は空虚な声で一言だけ呟いた。
「ここに、居させて…………」
 決められた文句だけを話すカラクリ人形のように、感情の欠片すら感じられない麗奈の
言葉……それを聞いた瞬間、涼子は思わず彼女の肩に触れていた手を離す。
 涼子だけなく、そこにいる誰もが麗奈のその姿を目の当たりにして、どんな言葉をかけ ても彼女をここから引き離す事は無理だと悟った。
 哀しみを通り越して、何も感じなくなっている今の麗奈には。

To be continued...